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10.28
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学者と学生によるシンポジウム
「岐路に立つ日本の立憲主義・民主主義・平和主義――大学人の使命と責任を問い直す」
2015年10月25日

https://youtu.be/KVoXJHANLB8?t=38m46s

201510241

立命館大学学生 大澤茉実さん:
SEALDs関西から来ました、立命館大学2年生の大澤茉実です。
これだけの学者の先生の後で何をお話ししようかとずっと悩んでいたんですが、学者の先生には学者の先生しかお話しできないことがあるように、目立たない私ですが、私にしかお話しできないこともあると思うので、今日はお話しさせていただきたいと思います。

SEALDs関西はSEALDsと同じ日に活動をスタートして、勉強会と並行しながら地元関西で6月から毎月デモを行い、7月からは毎週金曜日に街宣も行ってきました。

同じ町に住んでいても自分とは違う国籍や経済状況にある人のスピーチは、私に、自分とは違う誰かと生きていくことへの想像力をくれました。
「もうすでにこの町で一緒に生きてたんや」って気付かせてくれました。
それは誰かに「死ね」と言うよりも、自分が明日どう生きていくか語る方が、よっぽど未来を変える力を持っていることを教えてくれました。


自民党の改憲草案では「福祉」という言葉が「利益」や「秩序」という言葉にすり替わりました。
でも、私はもう十分に「福祉」という言葉に、多くの人々の生活や自分自身の権利を想像できるようになったんです。

草案では国家権力を縛るための憲法が私たちを縛っていますが、中身のない言葉ではもう私たちを動かすことはできません。

それはこの夏、心を持つ私たちが決して無力なんかじゃないことを知ったからです。

この社会には
”自己責任”という、見て見ぬ振り。
自分だけが攻めることを美化する姿勢。
他人を傷つけることで解消する鬱憤。
弱いものにしわ寄せが行く仕方のなさが溢れています。

常に何かに追い立てられるように、数字で、金で、ノルマで、自分を語ることが求められています。
飛び交う言葉には中身がなくなり、それは誰かを傷つけ、
言葉で傷ついた人は、言葉で傷つけることで自分を守ろうとします。

その感覚が、私には痛いほどわかります。
私も小さい時から”いい子”を求められてきたからです。

先生に気に入られる。
空気を読む。
長いものに巻かれ、議論を避け、ルールは疑わない。
学校に通い続けることが”正義”
偏差値が高ければ”勝ち組”それこそが幸福。

私はいつの間にか、自分の感覚や感情を頼りに行動することが怖くなっていました。
私は、言葉を自分の中に押し込めて黙ることを覚えました。
そうやってひたすら教室に、この社会に順応することが普通やと思っていました。

でもこの夏、普通だったことがどんどん普通じゃなくなりました。

昨日までファッションの話しかしなかった学生が政治を語り始めた。
本とパソコンの前から動かなかった学者が雨に打たれながら路上に立った。
多くの芸能人がタブーを破り政治的な意見を表明した。
あるサラリーマンは金曜の会社帰りは街宣に立ち寄るようになったし、
スピーチを聞いた彼女は通り過ぎようとした恋人を止めた。
友達は始めてきたデモで黙ってプラカードを掲げたし、
臆病な私が国会前でマイクを握った。

当たり前に順応するのではなく、何を当たり前にしたいのか、常に思考し行動し続けること。
どうやらそれだけが未来を連れて来てくれるようです。


空気を読んでいたら空気は変わらないのです。

そのことをデモをするたび、街宣をするたび、一緒に声を上げる名前も知らない人が、その勇気でもって教えてくれました。

武器を持ち人を殺すことが普通の国だというのなら、私はその普通を変えたいんです。

私には私を支えてくれる大切な女の子たちがいます。
そのうちの一人がこの間、私が嘘ついて冗談で教えた誕生日に、無いお金を叩いてホールケーキを買って全力でお祝いしてくれて、わたしが、わたしなんかが生まれてきたことをほんまに喜んでくれて。
嘘の誕生日やったけど(笑)「生まれてきてよかった」と、生まれて初めて思いました。

わたしはその子が、本当は行きたかった専門学校を諦めたこと。
家庭環境を馬鹿にされたこと。
家が安心できる場所じゃないこと。
しんどい時に「しんどい」と言われへんこと。
その全部を当たり前のままになんかしたくない。

だからわたしは、もう”絶望”という当たり前に慣れてしまうことをやめました。
明日からもその子と生きていきたいからです。

わたしは手触りと沈黙を大切にし、わたしの言葉でわたしを語り続けます。
それがわたしにとって唯一のアイデンティティーであり、
わたしにとっての自由であり、
わたしの半生の誓いであり、
ファシズムとすべての差別に対するわたしにできる最大の抵抗だからです。

そして、誰にもそれを打ち砕く事はできない。
なぜなら、わたしの想像力も、わたしの言葉一つ一つの背景になる笑や涙の経験も誰にも侵す事はできないからです。

わたしはほんの数年前まで、新聞の中にだけあった沖縄を、東北を、こんなに近くに感じた事はなかった。
彼らの息づかいが、怒りの声が、今のわたしには聞こえます。
そして、
原爆ドームの前に佇むあの人を、
杖をついて国会前に足を運び続けるあの人を、
弱音を吐けないまま死んでしまった大好きなあの子を、
こんなにも近くに感じた夏はなかった。
こんなにも人の温もりを感じた夏はなかった。
こんなにも自分が生きている事をかみしめた夏はなかった。

わたしは、戦後70年を迎えるこの国に、
世界中で銃声に怯える子供達に、明るい未来を見せる努力を求めます。
貧困大国であると同時に自殺大国でもあるこの国に、安心して命を育める環境を求めます。
政治家の一人一人に、この国とこの世界に生きる人々の、暮らしや夢や命に対する想像力を求めます。

わたしの言葉を理想論だとか綺麗事やと笑う人がいるかもしれません。
でも、希望も語れなくなったら本当の終わりです。

だからわたしは明日からも路上に立ちながら、大いに理想を語ります。夢を語ります。
そうやって社会を作っていくのが、これからを生きるすべての人に対するわたしの使命やと思っているからです。

今、言葉を失い、打ちひしがれ、「自分には力が無い」と思い込まされているすべての人に、過去のわたしに、その姿を見せなあかんと思っているからです。
生きる希望を見せなあかんと思っているからです。

わたしはもう全部失ってしまった。
国への信頼も、
豊かさへの信頼も、
自分らしく生きる場所も、
搾り取られるように失ってしまった。


そして一方で誰かからそれを奪い取っているこの国のどこかで、第三世界の大地で、わたしの手の中にはただ未来だけが残されています。
わたしはもう何も奪いたくないし、何も奪わせない。
その理想を掲げ続けます。

わたしの望む未来から安倍政権の退陣を求めます。

本を読み、過去に学び、路上に立ち続けましょう。
希望を語り、小さな事をやり続けましょう。
それが目の前の当たり前の絶望を変えていく事を歴史が証明しています。

2015年10月25日大澤茉実
わたしは安全保障関連法案に反対し、わたしとわたしの大切な人が生きる社会に、自由と民主主義を求め続けます。

201510242

49:36





自分が政府と向き合っているというのを絶えず示す必要がある 「空気を読むな」樋口健二×アーサービナード(文字起こし)




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comment 1
コメント
こういう若い子の声が世間に広がらなければいけないんだけど、それを阻止しているのが、メディアジャーナリスト達なんだな(怒)
犬アッチいけを始めとするテレビ局。惨荊ゴミ売りに朝毎などの大手新聞社。
隠す隠すこいつら、、。
どんだけ毒饅頭食わさられていることやら、、、。
彼女の言葉だけでもニュースで読めよ!紙面に掲載しろよ、と言いたいぜ!!
武尊43 | 2015.10.28 11:19 | 編集
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