「いま世界的に両極化が激しくなり大衆運動が起きてきている」小熊英­二慶応義塾大学教授10/25(文字起こし)




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小熊英­二(慶応義塾大学教授)
小熊英二教授

この夏の事態について話せということだったので、他の方が現場に即したお話をしてくださっているので、私はちょっと距離をとって、2000kぐらい距離をとっての見方をしますと、
最近世界的に大衆運動がまた起きてきているわけです。
それが私の中ではかなり共通の背景が起きてきていることと、その社会ごとの特性が起きてきているのと両方あります。
先に世界的な共通性というか普遍性について説明をした上で、日本の特性、出方の特性ですね、それを話をして、この夏を私がどう考えているのかという形で話をしたいと思います。

世界的な共通性としては、これはよく言われるグローバル化と情報化という言葉に集約されるようなことが起きているわけです。
もう一つは市場の浸透という意味です。
そこで起きてきていることというのは、雇用の不安定化であるとか、市場経済の浸透であるとか、未来に対する不安であるとか、そういったことが起きてきているわけですね。

あともう一つ共通して起きてきている現象が、20世紀の政府が21世紀の社会にだんだん合わなくなってきたことであって、例えばマスメディアの仕組みというものがもう21世紀の現在にあっているのか?
つまり、かなり大きな新聞社やテレビ会社というものが、ま、日本には記者クラブというわかりやすい象徴的な制度がありますけど、そういうタイプの情報の集め方で、ま、要所要所に記者クラブが配置されていて、例えば商工会議所であるとか、政党であるとか労働組合とか、そういうところに配置されたところから情報を取ってくるというシステムがだんだん21世紀の社会の実態に合わなくなっているという現象が起きています。
ま、その代わりにインターネットが間を埋めるという形になっていることは皆sなんご存知だと思いますが。

選挙というものも、私のように何世紀単位で見る人間から見ると、20世紀半ばに成立した制度ですね、普通選挙というものは。
それが現代の社会に果たして、全社会構成員実施を廃止するのに適した制度になっているのかなっていないのかというものが、だんだん、もしかしたら問い直されつつあるのかもしれない。
それに対する不満とか不安というものが、時に直接民主制の要求を帯びるような大衆運動として出てきている影響という共通性は世界的に見れるのではないかなと思います。

あともう一つ社会的に起きている現象がですね、従来の右左という体質ではだんだんなくなったということ。
これは2〜30年前から言われていることです。
どうして従来の右左の体質じゃなくなるかというと、それはもう、基盤そのものが変わったからであって、
例えば従来の左と言われているものの基盤だった労働組合だとか労働者階級意識みたいなものは、もうこれは変わらざるを得ない。
それから従来の保守側の基盤だった、ま、日本だったら自治会だとか町内会とか、あるいはイギリスみたいなところだと貴族階級意識みたいなそういうものっていうのは、これは変わって来ざるを得ない。
そうなってくると従来の右左ではなくなるっていうのは、これは当然のことです。

で、一時期90年代から2000年の最初の頃ぐらいまでは、従来の右左みたいなものが失効してだんだんみんな中同化してきていると言われていたんですけれども、2000年代の後半ぐらいになってくるとまた、両極化が激しくなってきました。

現在世界的にどこでも両極化が激しくなってきています。
それはいろんな理由があります。
というのは、やはり経済政策やなんかではどの立場を取っても、あまり打てる手が少なくなってきたので、アイデンティティーの政治というところに移るようになってきました。
で、アイデンティティーの政治という形になってくると、インターネットの助けということもあって両極化が起きやすくなる。
これは例えば、アメリカみたいな形ですとエスニック・アイデンティティという形に出てくる●政治になりますし、ジェンダーもありますね。
ヨーロッパですと移民という問題で出てきたりします。
あるいは宗教という形で出てきたりします。
日本でその代役になっているのは歴史認識だろうと私は思っています。
あれは日本における宗教の代役みたいな機能を果たしていると私は思っておりますけれども。

ま、そういう形でアイデンティティの政治という形が起きて両極化が起きているということという現象が、私には共通している部分があろうかと思っています。

その中で、両極化ということになった場合に、どっちが右か左か、ということは今となっては意味をなさなくなってくるわけですが、どちらかというと保守的な定義を掲げている側の方が至上主義と結びついていて、そして現状の秩序を変えるという方向に行くという傾向が世界的に見られる現象です。

なぜナショナリズムと至上主義が結びつくのか?ということについては、これは分析ができますが、ここでは省略します。

ただナショナリズムと至上主義、保守的なアイデンティティと至上主義という形の組み合わせの政治勢力なり政党というものが現状秩序を変革していくという方向がある。
これが世界的にわりと起きてきていることであります。

その場合、保守的なアイデンティティを掲げていても、それはある意味象徴にしかならない。
なぜか?といえば、もうすでに消えているものだからですね。
貴族階級意識とか、純粋な民族フランスとか、もうあり得ないわけですから、どう考えたって。
あるいは昔の村を取り戻すとか、本当に消えているものですからね、実体としては。
ですから幻想にならざるを得ないわけですが。
そういう象徴を掲げて実際にやっていることはグローバリズムであるという組み合わせが多くなってきています。

当然、社会全体、世界全体が昔の安定性を失っていますから、みんな非常に不安を抱いています。
不安を抱いている状態から、「より改革をしていこう」という思考と、「昔の秩序を守りたい」という思考と両方出てくると私は思っておりますが。
ま、あえて乱暴なことを言うと、「幻想としての昔の秩序、昔のアイデンティティを取り戻す都いう形で、実体としてはグローバル化を進める」という組み合わせと、「アイデンティティ的には現状適応なんだけれど、どちらかというと、特に先進国においては昔の生活レベルや昔の社会保障レベルをできるだけほうえいしていこう、あるいはそれを手直ししながら維持していこう」という勢力の分割という形になってきているのかなというふうに感じております。
ま、これを従来の右左に当てはめるのは適切ではないと思いますけれども。

で、そうなってきますとどういうことが起きるか?というと、
どうしても、先程言った前者、つまりグローバリズムと右派的アイデンティティの組み合わせの方が攻撃的になりやすいわけですね。
そうするとそれに対抗する側はそれに対して、なんとか現状、あるいはかつての秩序を防衛する。
あるいはある一定程度達成された生活レベルや雇用レベルを防衛すると言う形の反応になるのはこれはある程度自然なことであって。
ただ、結局先頭システムからは阻害されているということがありますから、ある種の疎外感と、それから大衆運動と、直接民主主義行動という組み合わせになるという現象が各地でみられるのかなというふうに考えています。
以上が普遍的な部分です。

「日本に特徴的な」という部分にうつしますと、やはり世界に普遍的に同じようなことが進んでいる部分があると私は思うのですが、各国に行ってみたり話を聞いたり、またそこの地域のレポートの論文を読んでいたりすると、やはりそれぞれの社会の文脈というものがあって。

先ほど言いましたけれども、やはりヨーロッパ、ま、国によりますけれども、普遍的な人権主義がヨーロッパなんだという意識が強かったり、特にフランスなんかそうですね。
そういうところですと宗教や移民の問題という形、あるいは共和制を守ると。
それが建国の国政だからという形で出てくるという形の大衆運動が出てくるし。

アメリカの場合はこれは外れてるかもしれませんが●ウォールストリートみたいなことが起きたのは、一番はやはり金融投資で失敗した銀行に法的資金を注入するのは許せないと。
アメリカは自己責任と平等の国だろうと。
自由と平等のアメリカなのになぜ大資本ばかり法的資金で救われるんだ、これは許せない。
そこが怒りに火がついた大きな理由ではないかなと私は勝手に思っております、違うかもしれません。

やはり広範に怒りを誘うというのはそういった現象だと思いますけれども、
では現代日本で考えるとすると、やはり現代日本はフランスにとっての自由平等友愛にあたるものは、日本にとってはやはり平和と民主主義と憲法という部分が、日本国全体とは言いませんけど、ま、ある程度の数の人には共有されているという状況にありますので、それも価値観と秩序を犯す動きが出てきた場合には、かなり激しく反論するということが見られたのかな、というふうに思っております。

ただ、その現象そのものは戦後の日本である程度一貫してみることができたんですけれども、実態はかなり昔とは違っているわけであって。
昔だったら例えば労働組合が労働組合の旗を掲げて。
これは日本の特徴といってもいいんですけれども、スローガンとか政治目的の「こうしましょう」とか、「こういうことを主張します」の旗を掲げるんじゃなくて、団体旗を掲げてくるんですね。
「我々はこの団体だ」という旗を掲げてくるんですよ。
あれの旗の方が多いというのは割と日本の特徴かなと思っておりますけれども。
ほとんどが中間集団単位で動くというのが日本の運動では多かったと私は思っておりますけれども、
その傾向は世界普遍的にやっぱり今回はかなり崩れたというか、そこまでの動員力がもう、ローソンの自治会もありませんから、もう保守も革新にもその動員力がないので。
主催グループの100人なり200人なりがインターネットで情報を拡散して、そこにワーッと集まってくるという。
ま、割とこれも世界普遍的な形態になってきているなと思います。

ですから、学生というグループが表に立っても、従来、例えば60年代にあったような、学生の自治会で多数派とって、自治会決議作って、「なんとか大学自治会」っていう旗が出て学生ばっかりが出てくるという形態には全くならないわけですね。
そもそもSEALDsの皆さんの話を聞いていると学内で組織するという感覚は全く最初から持っていらっしゃらないようですから、自由参加ネットワークというここの実態の変化は明らかにあるわけです。
ここも世界普遍的です。

ただ日本の特殊性としてはやはり、憲法、立憲主義、立憲主義というのは戦後の日本じゃないですけど、戦前の日本からはある程度蓄積されたスローガンですから、当然立憲主義の場合には「乱暴な動きに対して在来の良き法秩序を守れ」というそういう部分を含みますので、これは世界普遍的なものに共通しているわけすけれども。
それと日常に対する不安感みたいなもの。
もちろん同時進行でTPPみたいなものも進行していて、あるいはこういう規制改革みたいなものも進行していたということ、あるいは大学の良さが削られていたりとか、そういうことも進行しているいろいろな不安感を醸し出している状況の中で、一番社会秩序の根幹の価値観に関わるような部分に触れた動きがあったのが今回の反応なり、という形なのかと私は思っていました。

ただ実態としては明らかに30年前、40年前とは違ったものであり、日本的な戦後日本的な文脈の現れ方をしているというのも、非常に世界普遍的な動きであろうかなと思いました。

この点は、例えば2011年以降の原発の反対運動っていうのは、
あれはどちらかというと戦後日本に蓄積されたコンテストとはまた別のところで、本当に直接のショックからドーンと出てきたものですからちょっと違ったものだと思います。

まとめろという話ですけれども、
ま、こういうところからとりあえず分析をしてみました。
で、これをどう今後につなげるかということについてなんですけれども、ま、これはこのあと話し合えばいいと思いますが、割合世界共通的に、これを選挙結果という形と結びつけるのはどこも苦労をしていて。
それはどうしてか?というと二つ理由があって、
まずこういう「組織されざるネット型大衆運動というのは、20世紀型の投票システムとはあまり適合がしにくい」という問題がある。
もう一つは「20世紀型の製造システムと適合させるということも難しい」という問題があります。
そこを媒介をどうつけるかということを当面考えていかないと、20世紀型のシステムが悪いんだと言ってしまっても、まずシステムを変えるところからというわけにもいきませんから、それを考えなければいけないという問題があります。

あともう一つ、日本の場合の特徴としてはやはり、これは別に世界にいろんな国があって、必ずしも在来の左派的な政党が強い国ばかりではないのですが、日本は比較的弱い国だったので、媒介がつきにくいわけですね。
ただ日本よりもも従来のそういう左派的な勢力と呼ばれるものが弱くて、圧倒的にナショナリズムと至上主義の側だけが圧倒的に強いロシアみたいな国もありますから、そこまでに至らないように持っていかないと、今後が大変だろうなということを考えているわけです。

ま、目標値としてはどの辺を設定するかということはこれから考えていかなければならないことですが、一応これが私の●です。











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