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11.29
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封印された「被ばく」の記憶を解く~映画「X年後2」
OurPlanet

被ばくしたのは第五福竜丸だけではなかった-。1946年、太平洋上で繰り広げられたアメリカによる水爆実験。第五福竜丸以外も、多くのマグロ漁船の乗組員たちが被ばくしていた。10年以上にわたり取材を続け、封印された「被ばく」の記憶を解くドキュメンタリー映画「放射線を浴びたX年後2」の伊東英朗監督にお話をうかがった。
 
映画「放射線を浴びたX年後2」
11/7(土)~11/20(金)公開 愛媛・シネマサンシャイン大街道
11/21(土)~12/11(金)公開 東京:ポレポレ東中野
http://x311.info/part2/



2015年11月



「もう60、70近い人はほとんど亡くなっとったから、もうほとんど死んでいる」
「もうその人は亡くなっていまして」

被曝したのは第5福竜丸だけではなかった。
いまから半世紀前に太平洋上で繰り広げられたアメリカによる水爆実験。
第5福竜丸以外にも、多くのマグロ漁船の乗組員たちが被曝していたのです。
その封印を解いたドキュメンタリーX年後の公開から2年、続編が完成しました。


白石:
今日はその第二弾の映画を完成させた伊東英朗監督にお越しいただきました。
伊東さんはとてもユニークなプロフィールで、実は幼稚園の先生を16年なさって、その後に南海放送という放送局でいまお仕事をされているわけですけれども、この取材対象の地が高知なので、最初南海放送は高知県の放送局なのかなと思っていたんですけどそうではなくて、愛媛県でテレビ局でお仕事をされてディレクターをされているということで。
今回、「放射線を浴びたX年後 」これは伊東さんがお書きになった本なんですけれども、10年間このテーマを追っかけていらっしゃるということで、なぜ高知の、しかも「マグロ漁船の乗組員たちが実は被曝していた」ということを書けるようになったのかというのを教えていただきたいんですけど。

放射線を浴びたX年後1

伊東:
もともと僕は731部隊をテーマに番組を作りたくて、たまたまその方が高知県にいらっしゃって、生存者の方が。
ずっと交渉していたんですけど、そのことがあって、731部隊で「高知」というキーワードでインターネットで検索していたら、たまたま高校生たちにひっかかったんですよ。
高校生たちが第5福竜丸以外のマグロ船の被曝の実態を解き明かした」というのを見て、まずは「第5福竜丸以外に被害を受けた船があったの?」と驚いたのと、しかも高校生がそれを調査していたということにも驚いて、とにかく確認しようということで高知へ出かけて行って、引率していた山下先生という先生にお話を聞いたというのが、もともとのきっかけになるんです。


マグロ漁船の乗組員たちが実は被曝していた2
「なんかこれ、昔かぶちょるのがなんか原因しとるのかね、ということはわしは言ったけどもね。
10人ぐらいをうちの親父が(マグロ漁に)連れていっちょるがね、皆んな早うに死んでもうたわ」


白石:第1弾目の映画、これはやはり3.11があったから映画化っていうふうになったんですか?

伊東:
そうだと思います。
たまたま福島でそういうことが起こってしまって、突然「放射能」というものにすごいスポットが当たったわけですよね。
で、日本テレビで放送して、少し反響があって、それがきっかけになって映画にしようと。
でも映画にしたのは、反響があったからしたのではなくて、はっきりとした僕の中の目的があって映画にしたんですよね。


白石:その目的というのはどういう目的だったんですか?

伊東:
呼びかけをすることなんです。
それは、いろんな、各地域で自主上映をしてもらう。
テレビはそれはできないので、自主上映をしてもらって、その現場に僕が出来る限り出かけて行って呼びかけをする。
それは何かというと、海が隣接している県は港に行けば必ず被ばく者の人がいますから、聞き取りをしてもらえませんか?ということなんです。
で、結局「X年後」は200カ所以上で上映されて、その3分の1ぐらいは僕も行ったと思うんですけど、結果的には3年間働きかけたんですけど、結果は出なかったんですね。
それをやってみようという人はなかなか出てこなかったんです。



白石:
とは言っても、映画がきっかけで2本目ができたと。
呼びかけというふうにはいかなかったかもしれないんですけど、この第2弾というのはどういう背景で作ることになったんでしょうか?


伊東:
確かに高知県室戸市まさに現場になった場所ですけど、その場所で、被爆者の方が企画して上映をしてくださって、これ自体が僕にとって奇跡的なことなんですけど、それを見た遺族の方が「聞き取りをしよう」ということになって、僕はそれを密着したんですけど。
確かにこれは一つの進歩というか、成果ではあると思うんですけど、ただ成果としてあまりに悲しい成果なんですよ。
事件をね、遺族の人や当事者が聞き取りをしないといけないという、一番過酷な現実がここにあるわけです。


白石:
室戸の上映会など、あるいは今回の上映をきっかけに「自分は遺族だったんだ」っていうことを自覚した人。
川口美砂さんという、12歳の時にお父さんを亡くされたという遺族の方。
こういった方々が登場はしているけれども、第2弾というのはそういう意味ではすごい成果の先にあったものというよりは、また違う捉え方をされているということなんですか?

伊東:
その「X年後」というタイトルをつけているんですけれども、結果的にいうと、X年後にそういう過酷な現実があるということだと思うんです。
この事件が起こってからもう本当に半世紀以上が過ぎた状態で、そこでやっと今、今言われたように遺族の方が気がついたとか、遺族の方が動き始めた現実があるということなんです。

マグロ漁船の乗組員たちが実は被曝していた4

「その時も夕方に、お日様が水平線に消えていったら(キノコ雲が)ボコってまた出てきたり、『お日様が割れた』って言ったね。大騒ぎもしなかったね。もうみんなこれ(内緒)やけん。誰も知らない」
「一切言わん?こんなんあったよと言われんように思っちょった?」
「『言うな』って言われてるからね。『魚が売れんようになるけん言うな』ということです。
(放射能を)浴びていたかどうかはわからない。検査をしなかったから」


白石:
この映画のなかで、非常に私にとっては、まさにずーっと福島の問題を取材しているから特に印象に残ったのは、やはり、「この長い間人々が口を閉ざさざるを得なかった」あるいは「口を閉ざし続けてきた」っていうのは、例えば海辺の地域、あるいは取材をされている漁師さんたちと触れ合うなかでどういうふうにお感じになられましたか?


伊東:
緘口令っていう、…それはまさに風評被害ですよね。
「言うと魚が売れなくなる」という、そういう思いと、それを食べる側ですよね。
食べる側というのは当時、まさにタンパク源だったから食べないといけないと。
それに対して政府のお墨付きが出て「安全だ」と。
で、「食べられる」「売れる」という構図ですよね。723
そういうものがあって、この事件に早く幕を引きたいっていう、ま、政府の思いとか。
そういうものがすごく一致して、本当に極限の状態で記憶が封印されたんだと思うんですよ。
よくね、メディアが黙っていたとか、言わなかったということを、上演会場で言われたりするんですけど、そうじゃなくて、メディアはもう連日のように新聞に書き立てて、たくさんの被ばく船が入港してきた、魚が被ばくしてきた、それから日本列島が被ばくして日本中がパニックになった、ノイローゼになった、それから放射能の強烈な雨が降った。
もう、大騒動しているんですよね。
それだけの大騒動の記憶がどこからか本当に見事に消えて
いま記憶に残っているのは「雨に当たると髪の毛が抜ける」という言葉と、「第5福竜丸事件」という、この二つの言葉だけが残っていて、これだけの大事件がこれだけ記憶が消えているっていうことは、いま改めて僕らが考えないと、また同じことが起こってしまう可能性があるんじゃないかなというふうに思うんです。

放射線を浴びた

白石:
この映画の中では全国的に汚染されていたということで、古い家屋の床下の調査をしているという場面もあって、ああいう形で立証実験して入れたというのは何か意味っていうか思いがあるんですか?

放射線を浴びた1

伊東:
いやこれは知ってもらいたいですね、本当に。
例えば映画の中に出てくる福岡県35万カウント。
それから鹿児島が24万カウント。
沖縄が17万カウント。
当時の魚の廃棄基準は100カウントですから、とんでもないような放射能の雨がこの日本列島に降っているわけですよね。

放射線を浴びた2

「現在の土壌にまだその人工放射性物質が、核実験用の放射性物質がフォールアウトしたものがある」ということは今回の映画でハッキリしています。
っていうことは、現在は確かに微量ですから人体に影響があるほどではないかもしれませんけど、遡っていくと、半減期を考えると、1990年代。
1962年に核実験を40回やっていますから、太平洋上で。
その時出たセシウムやストロンチウム90だけを考えても、29年後、1991年にやっと半減している状態です。
「そういう状態がこの日本列島の土壌にあった」ということを我々は知らないと。

僕はだから、福島があった時に、今の、「現在の土壌というのはバックグラウンドだ」と。
自然放射能だ」という言われ方をして、ちょっと驚いたんですけど。

今まで自分たちが放射性物質によってなんらか体に対して影響を受け続けている、それは魚もそうですけど。
「そういう状態の上に福島があるんだ」ということを認識しないと、「基準値を下回っているから食べていいよ」というのは、自分の体がゼロだったらいいんですけど、ずっと影響を受け続けているところにさらにプラスアルファするということを考えると、「基準値から下回っていればいい」という話とは違ってくるので、そこを日本中の皆さんに一回知っていただきたいんですよね。



白石:
よくね、「日本は唯一の被ばく国」というような言い方をして、その「被ばく国」の「ばく」は、広島と長崎について言及することが多いわけなんですけれども、実際には水爆実験位より幅広い地域が被ばくをし、もちろん原発事故もその後にあって、幅広い被ばくが起きているんだなということを、改めて映画を通じて。
つまり自分たちがその認識を持たない限りまさにX年後に何が起こるかわからないということを、すごいタイトルからも感じさせてもらえるかなと思います。
で、伊東さん達の、あるいは山下さん達の努力によって、今ませ政府が否定していた「測ってないぞ」と。
「船員達の放射能は測ってない」。しかも「そんなもの知らない」と言っていたものが、「やっぱりありました」ということで、去年厚生労働省が公開をして、しかも「影響ありません」というようなことを言って。
今年から、61年目にして健康診断を始めたと。

実際にそういう状況の変化について、取材されている対象者の方とか、どういう思いで見てらっしゃいますか?


伊東:
被ばくした船というのは、あの当時延べ992隻がなんらかの形で被ばくしていたと。
それが全部もしあるとしたら、延べ992隻分になると、相当の枚数の書類がないといけないはずなんですけど、出てきたのはその中のおそらく一部じゃないかなと思うんですけど。
で、今回僕たちが、出てきた文章で一つ明らかになったことで嬉しかったことは、
船員手帳が残っている人たちっていうのは、これは公的な証明書ですから、昭和29年、検査は10ヶ月しかしていないんですけど、その検査をしている間に乗っていた船が特定できる。
それからその船がどういう形で被ばくしていたかというのがわかる。
ということで、その人が被ばくしていたかどうかということが明らかになるという状態があるんですね。

ただ、明らかになったからといって、じゃあ何かあるのか?というと、何も今のところないんです。

で、これから問題になってくるのは線量だと思うんですね。
どれぐらい被ばくしていたのか?
当時の厚生省がそれに対して指導をしなければいけない数値だったのかどうか?というのは、これから議論になっていくんだと思うんですけど。

それで僕の中で今度悲しいところは、核実験は18年間120回やって、記録があるのは10ヶ月間。
その中の6回の核実験の分しかない
んですよね。
それ以外の前後のものというのは今のところないんです。
その間被ばくしていただろう船の証明というのは全くできないという状況があって。
その部分だけで論じないといけないというところがひどく残念なんですね。

ですから、福島というのは、是非とも、何があろうともデータを記録するということがすごく大事になっていくんだろうと思うんですけど、この事件に関してはそういうところがないということが一つの現実になっていると。

それと健康相談会に関しては高知県が行っていますので、土佐清水は地元の方で精力的に動いてらっしゃる方がいて、その方が一生懸命に動かれて、たくさんの方々に声をかけられて、かなりの遺族の方、被ばく者の方が来られたという状況があります。

ま、それは一つの動きなんだろうなとは思いつつも、それが次につながっていってほしいなという思いはすごくあります。
室戸もそうですね。
一番僕が大事だと思うのは、いま室戸市を取材していてつくづくと思うんですけど、できる限り遺族や被ばく者の方に寄り添うことだと思うんですよ。
それは「一軒一軒お訪ねをして話を聞く」ということをまずやらなければいけない。
それと今回のX年後の2でどうしてもやりたいことは、モデルとして今回映像を出しているんですね。
作品性というよりもツールとして考えているので。
川口さんたちが聞き取りをして、「あ、こうやって聞き取りができるんだな」と。
「私もできるんじゃないかな」と。
「おじちゃん、元気?」って行って、「おじちゃん、なんか乗っとったらしいね」私にもできるんじゃないの?ということで、例えば鹿児島とか静岡とか神奈川とか宮城とか、被ばく船がたくさんあるところで、全く手付かずのところがいっぱいあるんですよね。

そういうところでそういう人が動いてくれて、そういう情報がどこかで集約されていくっていうことができれば、それがいつか解決に向けての力になっていくんだろうと。
それがいつかは僕もわからないんです。
やっぱり被ばく者の人たち遺族の人たちと一緒に寄り添って、一緒に何かの大きな動きを作っていくっていうことが事件を解決するためにすごく大事だと思います。







映画『放射線を浴びたX年後2』予告編

東京で広告代理店を経営する川口美砂さん、59歳。故郷である高知県室戸市で、映画『放射線を浴びたX年後』を観たことがきっかけで、元漁師だった父の早すぎる死に疑問を抱き始める。当時「酒の飲みすぎで早死にした」と言われた父。本当にそうなのだろうか?高知県室戸市出身の漫画家、和気一作さん(本名:大黒正仁。代表作「女帝」など)もまた、映画との出会いがきっかけとなって父の死に疑問を抱く。愛する父への強い思いが、二人を動かし始める。
一方、取材チームは放射線防護学の専門家と共に、1950年代当時、雨水の中に高い放射性物質が測定された沖縄、京都、山形を訪れ、独自に土壌調査をおこなう。民家の床板を外し、半世紀ぶりに現れた土。遠く離れた太平洋でおこなわれた核実験の影響は、今も日本列島に影響を及ぼしているのだろうか?
元漁師たちの証言、破られた船員手帳、厚労省への情報開示請求―。日本列島を揺るがした巨大被ばく事件から半世紀を経た今、決して消え去ることのない「被ばく」の傷跡が、徐々に明らかになる。


これからの公開予定
<東京都中野区>[ ポレポレ東中野 ]
http://www.mmjp.or.jp/pole2/
◆日程:2015年11月21日(土)~12月11日(金)

<山梨県笛吹市>[テアトル石和]
http://www.csc.co.jp
◆日程:2015年12月12日(土)〜

<愛知県名古屋市>[シネマスコーレ]
http://www.cinemaskhole.co.jp/cinema/html/
◆日程:2015年12月26日(土)〜2016年1月15日(金)モーニングショー


◆日程:2016年公開予定
<大阪府大阪市>[第七藝術劇場]
http://www.nanagei.com
<京都府京都市>[京都みなみ会館]
http://kyoto-minamikaikan.jp
<兵庫県神戸市>
[神戸アートビレッジセンター]
http://kavc.or.jp
<広島県尾道市>[シネマ尾道]



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comment 3
コメント
バカだなァ、と思うのは「安全です」と云っている政府の役人も被曝させられている、とういう事だよね(笑)
自分の言葉で自分が被曝させられ、それによって寿命が縮んでいるのに、そういい続ける愚かしさに、恐怖と絶望を感じるんだな。
安倍だって、若しかしたら彼の病気は放射能のせいかも知れないのに、未だ続けますと云ってしまう愚かしさ、、。
今現在世界中の人々の病気だって、若しかしたら放射能が原因なモノって相当有るだろうに。それを隠し続けているんだろうけど、その隠している本人達も、放射能で死んでいっているんだろう。
きっと彼らも分かってちゃいるけど止められない。
う~ぅん、完全に歌の世界だな(悲)
武尊43 | 2015.11.29 14:29 | 編集
いつも書き起こしありがとうございますm(_ _)m
まさに目から鱗でした、、、
核実験が行われていたのは知っていたはずなのに、遠くで起こっただけの気がしていました。
歴史の教科書は大事なことは何も書いていない。歴史の年号を暗記している場合ではないですね。
こどもたちに、どのように、いつ話をしていいものか、悩みます。が、教えていくのが親としての使命でもあると思っています、、
死の灰は日本列島に降り注いでいたのですね。
知っていたのに、語られなかったこと。目に浮かぶようです。
私の祖父も戦争の話はしてくれませんでした。戦争はしたらあかん。と、口の端をキっと結び一言くれた祖父の顔が目に焼き付いています。

予定があり映画を見に行けなさそうなので、本をまず読んでみることにします。
残念!映像、見てみたいなあ。
ちょこ | 2015.11.29 22:03 | 編集
バカテレビ、全部信じ切ってる
バカ日本人・・・

思考能力は先進国で再開のバカ国。
安倍シの頭の中見ればわかるじゃん!

バカ国民に放射能汚染・・・ちょうどいいじゃん!!気づかないんだから。
自業自得!
木月庵 | 2015.12.02 14:47 | 編集
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