福島県の二本松というところから来ました。
郡山と福島の間です。
家族は全員で6人います。
いま女房と、一番下、今年高校1年生になった息子が米沢に避難していまして、
私は仕事とか様々な関係があって、米沢と二本松、そして仕事といいますか、福島に絶対に必要だという「保養」をやっています。
「保養」をやるために佐渡島に今保養センターというのを立ち上げていて、そこに通っていますので、
福島と二本松と佐渡島と米沢と行ったり来たりという生活をずっとしています。
なぜ避難したか?
簡単です。
放射能が怖いからです。
私は1986年の時にチェルノブイリのことを経験して、大変だということがよくわかっていました。
ですから直ぐに避難させたかったんだけども、なかなか場所がない。
ということで、1年がかりでようやく米沢の先ほどお話が出た方と同じような雇用促進住宅に入ることができたわけです。
あとはなぜ避難したのかというのは、放射能が高い。
あとは、家屋が汚染されているんですよね。
うちの家は女房のおじいちゃん家だったんだけど、古い家でした。
戦争中にどこからか長屋を移築したということです。
ですから、隙間だらけなんです。
あの当時、2011年の3月27日に家に初めて線量計がきたんだけれども、
その時に外で9マイクロシーベルト。
家の中で3〜4マイクロシーベルトありました。
今は除染というのが去年終わって、その剥いだやつを全部庭を掘ってそこに埋めたんですよね。
だいたいその時で0.2ぐらい。
それが今は0.1〜0.2の間ぐらいなんですけれども、家の中も外も一緒なんですよ。
つまり埃が入る。
猫を飼っているから、猫は出たり入ったりする。
猫を殺すわけいかないでしょ。
しょうがないから拭いて中に入れたりするんだけど、そんなの長く続かないでしょ。
だんだん、だんだん、線量は上がります。
家の直ぐ後ろは山で、山というかお寺さんで上から落ち葉がいっぱい落ちてくるんですよ。
そういうところに住んでいます。
2012年に土を測った時には8万ベクレルありました。
今もそこにいて、庭は除染したけれども、後ろのお寺の土手は除染していませんから上がったままです。
なんで避難を続けるか?と言ったら、さっき言ったように除染しても下がらない現状がある。
それから、もうすでに新しい暮らしが始まっているんです。
それを変えるのはすごく大変です。
赤ん坊の時は出るのは楽なんです。
ところが、僕の一番下の子は当時小学校6年生。
泣いて暴れて「なんで俺がここを出なきゃならないんだよ」という感じで、本当に大変でした。
最初は「岩手県のおばあちゃんのところに行け」と言ったら「行きたくない!」
とにかく説得して「ここには住めないんだ」。
「実際にみんな出て行くんだ」って言って、1年がかりで泣く泣く行きました。
でも、一人ぼっちの入学式は大変だったと思います。
それで、入学式の日に、車を蹴飛ばして「1ヶ月で友達ができなかったら二本松に帰るからな!」
でも、避難していた福島の子たちがいっぱいいて、同じサッカー部で、そして友達もできてなんとかやってきました。
学校もよく休んでいました。
本当に不登校になるかなと思うくらいに。
でもサッカー部をやっていたので、なんとね、県大会で優勝できたんです。
で、「福島から来た子のおかげだね」って言ってね、みんなで手を取って泣きました。
その息子がやはり、「高校は二本松に帰りたい」
「おとうさん、おかあさんは俺のこと、無理やり転校させたんだから、高校ぐらい好きにさせろ。いいでしょ」
って言ったんです。
ところが、幸か不幸か勉強ができなかった。
だから二本松の安達高等学校に入れなかった。
「お前の成績では行けないぞ」と言ったら、結局は私立の高校に今行っているんですけれども。
今はそこで落ち着いて、なんとかいけています。
私は本当にホッとしています。
戻らないのはそういうふうに生活が安定してきているということと、
やはり、原発が全然安定していないわけですよ。
メルトアウトして、いつかまた逃げなきゃならないような状況にある中で、
なんでここにいなきゃならないんだということです。
そもそも国と原発の責任は、国と東電にあるわけだから、ありとあらゆる選択肢を用意して、
「居たい人はどうぞ」の話だと私は思います。
だけど、
「ここに住みたくない」
「心配だ。だから出たい」
という人のことも補助するべきだと思うんですよ。
それをしないで、「今線量が下がったから戻ってきていいぞ」とか、
「心配するな、色々考えすぎなんだ」とかいうけれども、安全かどうかは国や東電が決める話じゃない。
俺が決めるんだ。
理屈が合うとか合わないとかじゃない。
現実、家の線量が下がってもあそこには帰れない。
そして、仮に向こうの基準が下がりましたと言ったって、西日本とか全然ないところと比べたら高いんですよ。
だから、そこに戻って被曝を防ぐのは無理だから、私は帰らない。と決めています。
ただいまなんで住み続けているかといえば、仕事の絡みもあるし、福島の人をなんとか外に出したいと思っていて保養とかをやっています。
あとは息子、長男と次男がいますけれども、仕事の関係でやっぱり出ません。
なかなか難しいんだけど、しばらくはそばにいてあげたいと思っています。
やっぱり雇用促進住宅の人にしてもね、結構出てます。
出てます。
それはだけど福島に戻る人だけじゃないんです。
全然他県に行くとか、他県の親のところに行くとか、福島に戻る話ばかりじゃないです。
だからうちも今現在家賃を払わないで家にいたわけだから、それが今後4万幾らって言ったら、どうすっぺな、っていう話だよね。
だけど戻らないですよ。
戻らないって決めているんだから。
これは必死になって、どこかまた安いところかタダのところを探すように頑張りますよ。
でもうちの女房は実は保険の仕事をしているから、
二本松と福島と米沢と行ったり来たりしなきゃならないということはあります。
だから当面ここでやるしかないんだけれども、国と東電に責任があるんだから、少なくとも自分たちが納得して子育ても終わった。
だったらここ出てもいいよねということになる時まで。
「本人達が納得するまでは手当を続けろ」と言いたい。
一切責任を、何も取りもしないで、ふざけるんじゃないぞということを言いたいです。
色々言いたいことがいっぱいあるんですけれども、私たちは出ないで頑張りたいと思います。
本当に、生活も苦しくなっています。
私は米沢と行ったり来たりして、あとは「保養」ということでこういう活動に来たり、子供達を佐渡に連れて行ったりすることで、ガソリン代もね、月に5万ぐらいかかるんです。
これでやっていけないですよ。
私の給料は10万ちょっとですよ。
まぁ、歳も歳だからね、そんなに高くもらえないのはしょうがないけれども、
だから、本当に苦しくなっています。
ジリジリと殺していくようなことを国はやりたい。
そして、兵糧攻めで帰ってくるのを待っているつもりかもしれないけど、そうはならない。
それは死ぬことを選ぶのは嫌だからです。
とにかく頑張っていきます。
ありがとうございました。
<ディスカッション>「避難を続けたい避難者が追い出されてしまうかもしれない」現在避難者がおかれている状況(文字起こし)
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| 2016.01.02 11:24 | 編集