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Dさん「 皆さんは帰れますか?」〜自主避難の現状〜東京電力福島第一原発事故避難者の声



みなさん話すのが上手なんですけれども、私はちょっと下手なので、原稿を書いてきましたので読ませていただきます。

皆さん、先日千葉で起こったこんな事件を記憶していますでしょうか?
東日本大震災の津波で家がダメになり、目と足が不自由な姉を山へ置き去りにして死なせたという弟の事件のことです。
震災後住む場所を亡くしたこの方々は親戚宅を転々としましたが、それもなかなか難しくなったのでしょう。
日々生きていくのが大変で、障害のある姉が煩わしくなり、山へ置き去りにしたのです。
一見、弟の勝手な行動と思われるかもしれませんが、私には他人事に思えませんでした。

福島県いわき市の海沿いに嫁いだ家は津波で流され、原発30km内ではありませんでしたが、町は大混乱でした。
海が目の前にある主人が勤めていた病院も車も、津波でダメになりました。
生後10ヶ月だった娘と私は、たまたま友人宅にいて難を逃れましたが、いえでお昼寝をさせていたら、多分助からなかったでしょう。

私が嫁いでから一人で頑張っていた脊髄小脳変性症で歩行困難な母は無事だったので、近くの集会場に避難しましたが、
母は四つんばえになって這って歩くしかなく、トイレに行くのが大変で、娘はミルクも水も無く、昼夜関係無く大泣きし、大きな余震も続き周りの方々も恐怖で寝れず、食べ物も無く、徐々に疲れからイライラしたのでしょう。
咳払いをしたり、「うるさい!」って大きな声で言われたり、障害者の母と赤ちゃんを連れて、それだけで肩身も狭く、集会場にいるのは二日間が限界でした。

母の指示で住宅を片付け、勤務先で津波にあった主人は生きていて合流し、3月16日までそこで生活しましたが、ガソリンが手に入ったので唯一残った私の軽自動車で福島県から脱出することにしました。

でも、軽自動車は4人乗り。
娘のミルクを作るためのお水とお湯を入れたポット。
やっとの思いで集めた離乳食、オムツ、着替え、タオル。
多少日持ちしそうなお菓子、もしもの時の毛布を積むと、チャイルドシートもあり、母を乗せる余裕がないのです。
一旦どこかに避難してから母を連れに戻るのか、
でも、当初携帯でのネットは使えず、どこが避難所になっているのかわかりません。
親戚宅に行くか、
でも震災から1週間、いわき市にいる親戚は津波で亡くなったり、流されたり、他に避難したりでいません。
他県の親戚も家族4人の受け入れとなると難しく、渋られました。
元JR勤務の親戚が「電車で来たらいいじゃん」と言いましたが、震災と原発の影響で常磐線は動いておらず、「それも知らないのか」と、福島県と他県の温度差を感じました。

そして頭をよぎったのは母を置いていく。
そんなずるい事でした。
本当にずるい娘かもしれませんが、その時は本気でそう思いました。

支えられてやっと一歩足が出る母。
田舎なのでガス欠になったら山道を歩くしかありません。
外に出れば被曝する。
止むを得ず出た時は上着を捨てて室内に持ち込まないように言われていました。
でも、途中何もないところでトイレとなるかもしれません。
そしたら車から出るしかないのです。
もしかしたら車の中で寝る事になるかもしれません。
私たちはできます。
でも高齢で障害のある母にはやはり難しく、足手まといになってしまうのです。

でもいわき市から食料の支援はありませんでした。
このまま家にいたら全員餓死です。
タクシーも使えません。
飛行機も、空も危険という事で飛ぶか飛ばないかわかりませんでした。
餓死するか、一か八か車で行けるところまで行って、あとは被曝して歩くか、
その選択しかなかったのです。

原発はいつまた爆発するかわからず、物資もいわき市に入ってこない。
ガソリンも無く、逃げたくても逃げる事ができません。
お金を下ろしたくても金額が制限され、着の身着のままで印鑑も通帳も身分証明もないままの方もたくさんいて、すごく困っていました。

幸いな事に茨城県に住む主人の友達が私たち家族4人を受け入れてくれて、4日間お世話になり、
今はみなし仮設に入れ就職もでき、千葉の事件のようにはなりませんでした。
でも、もしかしたらそうなっていたかもしれないのです。
地元で再建するために家を建てると300万円助成されますが、私たちの住んでいた場所は家を建ててはダメな地区になりました。
主人の勤めていた病院も建て直しの話が出ましたが、津波被害もあった事から、同じ場所で再建する考えと、違う場所で再建したい意見の違いからドクターが別れたり、再建して病院が再開しても、亡くなった方や避難した人が多く、介護職だった主人は入院病棟がないと仕事がないので復帰ができません。
「いつか復帰して欲しい」と言われても、それがいつなのかがわからないのです。

お金が入ってこないのです。
通勤するための車も購入しないといけません。
車はダメになりましたが、津浪被害なので保険金は出ません。
自分たちの再建のために、私も次の年からフルで働き始めましたが、国民健康保険から社会保険に切り替わるため免除がなくなりました。
母も一緒に都内に避難させたので、一人暮らしをしていた市営住宅の家賃も払い続けなければなりませんでした。

そして住む家も職場も車もなくした私たちは全員避難し、母子避難ではないのでこうしょく無料の対象ではありません。
有料です。
原発が怖く、子どものために避難した周りも親と同じです。
ですが私たちは対象に入らないのです。
仮払い100万円もありませんでした。
何でしょう、この差はどこから出るんでしょう。

母の市営住宅の片付けや荷物取りに何度も何度も高速道路を使用しました。
ですが、無料ではないんです。
みなし仮設には入れましたが、あかくりや避難所を出た方々のように、おむつやミルク、服等の物資、情報源の新聞支援もありませんでした。
羨ましいのは食事もでていたことです。
被災した私たちは避難してからずっと、ほとんど自分たちでやりくりするしかなく、時間もお金も使い果たしました。

今住んでいる場所から出ろと言われたら、もう生活していけません。

身障者で車椅子の高齢の母と、保育園に通う5歳の娘を連れてやっと避難した私たちから住む場所をとらないでください。

毎月賠償金が出て、医療費無料、高速無料、家財道具補償もある避難者家族とは、生活レベルがとても違いすぎます。
線引きをしないでください。

汚染した地下水が海へ流出するのを防ぐための海外遮水壁が完成して1ヶ月が過ぎましたが、海水に含まれる放射性セシウムの濃度は変わらないそうです。
また、汚染土を詰めた黒い袋がたくさん積まれていたことも、皆さんもご存知かと思います。
それが今年の9月の大雨で240袋流され、うち2袋は中身がなかったと環境省が発表しました。
汚染水処理機アルプスも故障してばかりです。

その土地へ子どもを連れて私たちは帰れません。

皆さんは帰れますか?
どうかみなさん、ご自身がそうなったときを想像してみてください。

横須賀にも原子力空母が配備されています。
何かあったら大田区も30km範囲に入ってきます。
今はテロもあります。
大きな事故がないとも限りません。
一度で構いません、一緒に考えてもらえませんか。

以上です。

















<ディスカッション>「避難を続けたい避難者が追い出されてしまうかもしれない」現在避難者がおかれている状況(文字起こし)


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