「その日の後で」(内容全て書き出し)

ナレーター 石田敦子

2011年3月11日

これまで技術先進国の日本ではその日は決して来ないとされていました
絶対に壊れる事はなく安全とされてきた日本の原子力発電所
しかし3月11日地震と津波で全ての電源が失われ原子炉の冷却が出来なくなり
大量の放射性物質を放出する事故が起きたのです

枝野:15時30分には596,4もちろん平常時よりは高い数字ですが人体に影響のない程度の水準に下がってきて

25年前旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所で事故が起きました
放射能の汚染は史上最悪の規模になりました
発電所の周囲には人の住めなくなった場所や町が今も残っています
そして今も事故の影響によると思われる病気で苦しんでいる子どもたちが大勢います

取材者:べラルーシュと同じようなことがこんが日本でも起こるようになるでしょうか
ベラルーシの医師:残念ですが繰り返してしまうでしょう

その日の後私達の住む世界はまるで変わってしまったように見えます
しかし、この招かれざる災いは他の誰でもなくわたしたち自らが作り出したという事も事実なのです


その日の後で
フクシマとチェルノブイリの今


3月15日

この日福島第一原発の2号機で爆発が起き4号機でも火災が起きていました
今起きている事態を確かめようと大阪府熊取町にある京都大学原子炉実験所を尋ねました

正門の前で実験所助教の今中哲二さんに出くわしました

今中:なんかもう・・涙出るから・・

取材者:あの、一言だけ今思っていることを

今中:もう もう チェルノブイリになっちゃった 
んー・・・もう・・・使用済み燃料がどんどん・・・・あの瞬間私涙出ちゃった・・・
あれはね、ちょっと、詳細は分からないけれども 格納容器がないからね
使用済み燃料がいっぱいたまっているところで
そこに水がなくてむき出しだから・・・そうだったら、もう、チェルノブイリはね・・

取材者:4号機?

今中:うん、4号機の事です

海外から着た研究者と会うため外出した今中さんと別れ
今度はその足で同じく実験所の助教 小出裕章さんを訪ねることにしました

菅:その範囲の外に避難をーー

丁度テレビのニュースが原発から半径20Kから30Kの住民に対して屋内退避の要請が出されたことを伝えていました

菅:30㎞の範囲の皆さんには 今後の原子炉の状況を勘案しますと 外出をしないで 自宅や事務所など
屋内に待機するようにしていただきたい

取材者:先生、こんなことで本来来たくはなかったんですけど

小出:そうですね

取材者:今起こっているという事をまず伝えていただけますか

小出:本当に私達が恐れている破局的な事態に向けて
一歩一歩進んでいっている事態だと思います

取材者:何が一番問題ですか?いま

小出:原子炉というのは常に冷やしておかないと壊れてしまうというー電話の着信音ーごめんなさい。こういう状態で
ー電話に出るー小出です。


小出さんや今中さんは原子力の専門家ですが
安全ばかりが強調される日本の原子力開発に警鐘を鳴らしてきました
そして、事故発生以来ひっきりなしにかかってくる電話取材の対応に追われていました

小出:今回の場合は地震に襲われまして まず原子炉が停止しましたので
自分で電気を起こすことが出来なくなりました
外部の電源も止まってしまって、送電が止まって停電になった訳で
自分は発電できない。外部からも電気が受けられなくなったという事なのです
東京電力はもともとそういうことを想定していて
そんな事はあるかもしれないと考えていて
そういう場合には非常用のディーゼル発電機を動かして 電気を自分でおこすから大丈夫だと言っていたわけですね
ところが今回の場合は津波が同時に襲って非常用の発電機を全部破壊してしまったわけです
そうなると、自分で発電できない、外部からも電気を得られない、非常用の電機も動かないということで
一切の電気を失ってしまった
そうするとポンプが動きませんので原子炉を冷やすことが出来ない
冷やすことが出来ない原子炉は溶けるしかないということで
一歩一歩溶けるという方向に向かってきてしまっているというのが現在です



事故発生から4日後のこの日 3月15日の時点で
東京電力は「炉心が損傷した疑いがある」としていましたが
この時小出さんが指摘していたように
炉心の大半が格納容器内に溶け落ちる
メルトダウンの状態ががすでに起きていたことが後になって明らかになりました

小出:-取材電話ー日本の場合は卓越風が西風ですから
その日し風がずっと吹いていてくれるならば福島から出た放射能は太平洋の方に降っていく訳です
ですから、日本人は助かるという事になる訳で・・・-電話終わりー
私が東京電力にエールを送る事態になるとは思ってもいませんでした

取材者:すごく、もう、逆説的ですね

小出:はい。もう、頑張って欲しいです


3月22日

広島出身の今中さんは原子力開発のマイナス面に着目し
とくに、1986年に旧ソ連で起きたチェルノブイリ原発事故に関して専門に研究してきました

今中:僕は出来たら来週現地へ測定に行こうと思います

取材者:福島第一原子力発電所へ?

今中:そうです。できるだけ近付いて線量を
今現在、事故が始まって2週間の段階で、
周辺の避難されている村の放射線量がどれくらいであるかというのをきちんと測っておく必要があると
実際に入れるかどうかは知りませんけども
そうしますと、私自身の頭の中に チェルノブイリの時の放射線量が頭にありますから
それと比較することによってその事故の規模を はっきりと示すことが出来るんではないかと


3月28日福島

この日朝 今中さんは福島県の飯館村に向かいました
村は緊急避難区域ではありませんが 放射線量の積算値が高くなっている地域が出ています

車内
「ここから飯館村です」

わーわーわー・・・2,9μシーベルト

2,9??


福島県の飯館村は今から56年前の1955年飯そ村と大館村が合併して誕生しました
以来、農業の村、肉牛の村として歩んできました
しかし、福島第一原発の北西25キロから45キロの所にある村は
事故後の風や雨が災いして放射線量が高いいわゆるホットスポットであることが分かりました
放射能汚染が新聞やテレビで大きく報道され 人口6000人の村は困惑していました

菅野典雄村長:飯館村に放射能が回ってきていると
そういう中で農業、飯館村が農作物を植えたりしていいのかtp・・・

誰か:一つは原子力発電事故を収束させると・・・

この日もまだ余震が続いていましたー会議中に大きな余震ー

地図を指さしながら
今中:峠のこっち側で雲が来ている時に雨が降って・・どうもそういう説で説明できますから
だから、これがこっちにどの程度まで広がっているのかを押さえましょう。午前中に。ね

京都大学原子炉実験所の今中さんらの調査チームは
村内をくまなくまわって空気中の放射線量や土壌の汚染の度合いを調べました

「23μシーベルト/h」
「23」

「24」
「うー24・・」

日本の法律では一般人の年間被ばく量の限度は1ミリシーベルト
つまり、1000μシーベルトと決められています

今中さん達が計測した一時間当たり20μシーベルト以上を 一日8時間 1年間続けたとすると
年間およそ60ミリシーベルトになります

これは一般人の被ばく量の60倍で原発作業員の年間被ばく限度量である50ミリシーベルトをも上回ることになります
調査を終えた今中さん達は村長に結果を報告しました

今中:・・・・・・役場に入る時に測定器を2種類用意しまして
ポイントポイントでそれを測定したと、それで、午前中はですね・・・・・・

その後今中さんは地点ごとに測定した空気中の放射線量を投稿戦場のグラフにまとめました  13:06グラフ
その結果村の南部では北部に比べて高い放射線量が認められました  (17μシーベルトの地点もあり)


村長:じゃぁ、こっから離れましょうというのは全く簡単なんですが、そういうところもないので
だから、対応策を、いくらかでも私らが・・教えていただければ・・
できる事も出来ない事もあるかもしれないけど
最大限やっぱりそれをやって村民を守っていくしかないと

今中:そうですね
今現在の恐ろしさという意味では
先々になって子どもさん達に癌が出てくる
大人の方も含めてがんが増えるのではないかと
それのリスクがどれくらいですよという事を合理的に説明することだろうとおもいます


25年前に起きたチェルノブイリ事故では 
その後被災地域で子どもの甲状腺がんや白血病が増え田という報告が上がっています


今中:僕は涙流すしかないです
あの、ここの今の現状がどうで どのくらい被ばくするだろうという事は
僕は言えます。ある程度自分の責任で。
それで、移住するとか避難するとか言うのはそれぞれの判断ですから 僕からは言えません
多分村長さんはそういう意味では
行政は何らかの判断をしなければいけないという非常に苦しい立場だと思います
ですから、我々専門家が出来る事は
そういう行政なり普通の人々が判断できるための情報をきちんと出していくという事だと思っています
そのために私は今ここに来ているつもりです


4月13日

その後 国は飯館村を計画的避難区域にしました

取材者:ここは避難する区域になっていますか?
村民:ここは非難するところです。飯館村
取材者:それは、みなさん全員避難する・・
村民:何時だか分かんないけど、みんな避難するようになった
今決めている。今晩集まって相談する


取材者:乳幼児は避難するようにと指示が出ていますけれども
母親:若い人だけでも先に避難しようという考えが・・いまのところ
祖母:わたしらはじいちゃんが寝ているから置いては行かれない
だからみんなと一緒にはいかれない
まだいつだか決まらないけどそれを始めているところです

取材者:何が一番問題というか気がかりですか?
母親:やっぱり子どもですかね。子どもの保証ですかね
甲状腺・・癌

取材者:今、子どもさんにはどういう影響が出ると聞いていますか?
母親:今すぐではないけどいつかはそういうのが(甲状腺がん)出てきたら困るなというのもありますし
その心配があるから、飯館村からは離れようかなという考えで今はいます


♪ 山麗しく 水清らかな その名も飯館 わがふるさとよ~♫♪♬
♪緑の林に 小鳥は歌い うらら春日に さわらび萌える~♫♪♬
♪ああ われら  今こそ手と手 固くつなぎて 村を興さん 村を興さん~♫♪♬


福島第一原発事故は当時原発事故の大きさを示す国際的尺度でレベル4とされていましたが
その後、チェルノブイリ原発事故と同じ
最も深刻なレベル7に引き上げられました

原子力安全委員会は国の原子力政策の決定に深くかかわってきました

原子力安全委員記者会見

18:30
斑目:チェルノブイリの場合には30名近い死者を出したし
それから、その後もですね、やはり甲状腺がんの発症率なんかもゆういな影響が会ってですね
あの、人々の健康面に非常に大きな影響を与えた事故であったと認識しています
それに対してですね、今度の事故というのは
少なくても、この事故による死者は絶対に出していないし
我々としてはこれによる人々への健康被害もとにかく最小限に抑える
この点だけはチェルノブイリと今回の事故は もう 絶対に違うんだと
現時点でそう言い切れますけれども

19:27

確かに放射性物質の放出量はチェルノブイリ事故の7分の1ぐらいだと言われていますが
事態の収束は見通せず 放射能は今も出続けています

今中:チェルノブイリは原子炉そのものがドカンといって吹っ飛んだようなものだが
それに比べて今回は 炉心が溶けてじんわりじんわり放射能が出てきていると
だから、比較的揮発性のヨウ素とセシウムがメインだと

取材者:チェルノブイリとくらべると

今中:同じですよ
やっぱりチェルノブイリの・・迫力と言ったら変だけども
原発が事故を起こしたら周りの20K30キロにわたって いっぺんに人が住めなくなるよと
そういう事態が生じていますから 基本的におんなじことが起きているんだと思います

世界の原子力の歴史の中で最悪の被害をもたらしたチェルノブイリ原発事故
放射能で汚染された地域の人々は今どのような暮しをしているのでしょうか


チェルノブイリ原子力発電所 ウクライナ

旧ソ連、現在のウクライナの北部べラルーシュとの国境近くにチェルノブイリ原発はあります
1986年の事故以来周囲30キロは立ち入り禁止になりました
発電所から車でおよそ10分
当時大勢の作業員たちが家族とともに住んだ このプリピャチという街も今は廃墟です
現在ここに立ち入るためにはウクライナ政府の許可が必要です
取材班に同行したウクライナ非常事態庁の担当者は かつて発電所の作業員として働き
この街に住んでいたと言います
当時ホテルだった建物の最上階からは発電所が望めます

担当者:花にあふれた美しい町でした
自分の住みなれた場所なら誰でもそう思うでしょう
私だけでなく町の住民殆どの意見です
事故後10年位はいつか町に戻れるだろうと思っていました
今はもう誰もがそれはあり得ないと理解しています


地面の苔に高い線量が残る
11,37μシーベルト(ガイガーカウンター表示)

チェルノブイリ原発事故では現在のウクライナとベラルーシ中心に広大な土地が放射能で汚染さ
原発中心30Kにあった70余りの村や町からおよそ10万人が強制避難させられました


ゴメリ(ベラルーシ)
ベラルーシ第二の都市ゴメリはチェルノブイリ原発から150Kの所にありますが
高濃度の放射能に汚染されました
市内の団地に両親と一緒に住むユーリ22歳です
10歳の時結節性の甲状腺がんと診断され14歳で甲状腺を摘出する手術を受けました
今もヘルクロクチンという薬を毎朝飲んでいます

ユーリ:多分チェルノブイリのせいだと思う
最初に胆石が見つかってその後甲状腺がんになって・・

ベラルーシやウクライナでは
チェルノブイリ原発事故の5年後から甲状腺がんの子どもが増え始めた事が分かっています


ゴメリで甲状腺の手術を受けた子どもを保護する団体を21年前に始め 
ユーリをはじめ他の子どもの面倒を見てきたワレンチーナさんは
チェルノブイリ事故の後に生まれた子どもにもがんなどの病気が多いのは
汚染された食べ物などから放射性物質を体内に取り込んで起きる内部被曝が原因ではないかと考えています

ワレンチーナ・ポホモワ:食べ物について誰も本当のことを言わない
測定もしていません
店で買い物をする時に尋ねても線量は基準値以下と言われます
でも環境の綺麗なところに住んで綺麗なものを食べていれば
こんな病気にならないでしょう


市街地近くの森にはきのこや野イチゴに放射能汚染の恐れがあると警告する立札があります
しかし、効果はあまりなく
安全かどうかは分からない食べ物が家庭の食卓にのぼっていると言います

ユーリは2年前からゴメリ市内にある化学工場で働いています
月に200ドル程の収入を得るようになった代わりに
それまでチェルノブイリ事故の障害者としてもらっていた年金がもらえなくなりました
ユーリは「今の仕事に満足している」と話しますが
体調面にはまだまだ不安を抱えています

ユーリ:前よりは良くなっていますが病気がちで月に2週間は休みます

母:私はそうは思いません、悪くなっていると思います
仕事から帰ってきて何にもできない程です
すごく低血圧ですし、横になっているだけです
何と言ったらいいか


僕にして下さっている経済的援助に対してあなたのご家族に感謝いたします
僕たちの住むゴメリは春になりました
とても暖かで雪はすっかりとけました
学校は今春休みです
身体の具合も今は比較的いいです

これは7年前ユーリが日本にいる里親にあてて書いた手紙です
日本のチェルノブイリ子供基金という団体が
甲状腺がんになったチェルノブイリの子どもたちを経済的に支援する里親を日本で募り
ユーリを里子として紹介したのです

大阪府に住む主婦多本ゆき枝さんはチェルノブイリ子供基金を通じて
2003年から2009年まで
1か月に50ドルを仕送りしていました
そのおかげでユーリは薬を買う事が出来ました

多本:やっぱり、放射能の影響というのは小さい子どもに特に出てくるので
この子が何か悪いことをした訳ではないのに 
そういう病気になってしまっているというのはすご気気の毒だなと

3年前に多本さんは長女を授かり家族写真を刷り込んだ年賀状を送ったりして
里子のユーリと交流を続けてきました
しかし、今年3月に日本で原発事故が起きて以来複雑な心境でいます

多本:彼らはやはり広島長崎の原爆を落とされた状態から復興してきたというのを
希望のシンボルのようにとらえていたんです
非常に申し訳ないとも思うんですよね
やっぱり、放射能の恐ろしさというものを知っている国として
で、そういう事になってしまったという事と
チェルノブイリの事故で悲惨なことになっているという状況を分かっていながら
日本も同じようなことになりつつあるという状況が残念です

ベラルーシでも日本の原発事故による放射能汚染のニュースが一時盛んに報道されました
ユーリはベラルーシで起きたようなことが日本で起きて欲しくないと願っています


ユーリ:そんな事になって欲しくないです
自分も長い間辛い体験をして
10歳から12歳までの一番楽しい時期を病気で過ごしましたから

ベラルーシの首都 ミンスク郊外にある 子ども健康回復センター”希望21”は
放射能汚染地域に住む子ども達の健康回復を目的に1994年に開設されました
色々な地域からやってきた子どもたちが健康状態に応じた治療や
スポーツ芸術クラブ活動などを中心に24日間過ごします
また、このセンターでは子どもたちが身体の中に取り込んだ放射性物質を 外に出すのに効果がある食事を提供しています

イレーナ:第一にできるだけ汚染されていない食べ物を食べる事
それもペクチンが多く含まれてれている物を食べる事です

センターに来た時に測った体内のセシウムの値が
帰る時には20%減ったというケースもあります
子どもたちが汚染地域に帰ってからもできるだけ健康に暮らしていけるように
さまざまな経験を積んで知識が得られるようにしています

東京にあるチェルノブイリ子供基金は
チェルノブイリの子ども達に日本人の里親を紹介する取り組みに加え
子ども健康回復センターの開設当初から 子ども達の滞在費用を一部負担するなど 経済的な支援をしてきました

佐々木事務局長:汚染されていない食べ物を食べたり空気を吸ったりしてもらって元気になってもらおうという
そういう事を最初やっていて、それがずっと続いけていて今年で13年目になるんですけれども
2,3年前からは甲状腺がんだけでなくて、いろんながんの子どもたちが出てきたので
小児がんの子どもたちをということで続けています


ベラルーシでは3歳から18歳の子ども165,000人が今も放射能の汚染地域に住んでいます
がんなどの病気の発生は汚染地域に多いとされていますが
甲状腺がん以外はチェルノブイリの事故が原因と認められていません
国は統計調査を一切公開せず、いわばタブーになっています

イレーナ:私達はチェルノブイリの影響はまだ100年続くと考えています
ところが政府や学者たちは
住民の被ばくは自然放射能によるものだとか
毎年やっている肺のレントゲン検査によるものだと主張しているのです


イレーナさんは3月11日以来センターにやってくる子ども達に
日本の原発事故のことをつとめて話して聞かせるようにしています

イレーナ:子どもたちはチェルノブイリ事故を思い起こし 自分の健康状態についても考えました
フクシマがチェルノブイリと自分の将来について考えるきっかけになったのです



取材者:日本で3月に地震が起きて原子力発電所の事故が起きた事は知っていますか

子ども:知ってます

取材者そのことについてみんなどう思いますか?

子ども:幸せでありますように
これ以上こういう事故が起こらないことを祈ります


4月29日東京

この日東京で開かれた講演会は 1000人入る会場が満員になり、
なおかつ1000人の人が入場できずに帰ることになりました

京都大学原子炉実験所の小出さんの講演会です

小出:原子力発電所というのは今から聞いていただきますが
とてつもなく巨大な危険を抱えたものです
それを、電気を使う都会では引き受けることが出来ずに過疎地に押し付けて
長い送電線を使って都会に電気を送るという事をやっているものです
それに気が付いたのは私は40年前でしたが こんな事故が起きる前にと思ってきたのですけれども
とうとう事故が起きてしまいました
いま、福島の人達を中心にとてつもない悲劇が進行しているわけで
それを防げなかったという事を なんとも言葉では尽くせない無念さで いま毎日を過ごしています
また、原子力という場に携わってきた人間の一人として 今回の事故を防げなかった責任が私にもあると思います
皆さんに対して本当に申し訳ありませんでした。ごめんなさい


福島では学校の校庭を利用する目安として 国が被ばく線量の上限を年間20ミリシーベルトにした事に
子どもの保護者らから不安の声が上がっています

講演の客:一生懸命やってきた人に謝られて、とても恥ずかしくなりました
わたし今まで、子どもがまだ小学生と中学生で
子ども達のために今まで何をしてきたのか・・・なんか・・涙が出そうになっちゃって
自分が何て愚かだったんだろうと反省しました


会場の客:やっぱり福島ですよね
戦っている人たちがいっぱい居る中で 東京のこの電力を使っている人たちが
一切そういう事に対して何とも思っていないですからね
普通に生活しているけれども、実はそういう人たちがた戦っているから
今私達が平気な顔して生きていけるんだというのを 


5月22日大阪

福島第一原発では事故発生以来原子炉を水で冷やす作業を続けていますが
そのために生じた大量の汚染水の処理をどうするかが また、新たな問題を生んでいます

今中:我々、原発は事故が起きるよ事故が起きたら大変だよと言って
彼らは大丈夫だ大丈夫だよという事を言っているわけですけれども
それはあくまでも方便だと
原発を作るための方便だと思っていたんですけれども
どうも、今回の事故を受けて、原子力安全員会の委員長や東京電力などの対応を見ると
原発は絶対に安全だと思っていたふしがありますね
そして突然「想定外」だと言いだすんですけれども「想定外」何て起こるのは当たり前だと・・


研究者としてこれまでウクライナやロシアで調査にあたってきた今中さんですが
これからは逆に日本で実際に事故が起きてどのようになったかを報告しに行かなければならないと考えています


5月23日東京永田町

この日参議院の行政監視委員会の参考人として小出さんが出席することになりました


小出:私はもともと政治大嫌いでして
こういう場所に自分で来たいと思った事はありませんけれども
ことがことで、何とか福島の人達の苦難を少しでも減らしたいと私は願いますし
そのために今日の場が役に立つのであればと思って私は来たわけですし
国会という場、むしろ国家の機関が、私の意見を聞くという事は
原子力の歴史の中では かつてあり得なかったことだと思いますので

行政監視委員会映像

小出:現在進行中の事故にどうやって行政が向き合ってきているかという事についても
大変不適切な対応がわたしは沢山あったと思います
防災というものの原則は危険を大きめに評価して あらかじめ対策をとって行く 住民を守ると
もし危険を過大に評価していたのだとすれば
これは過大だった。でも住民に被害を与えないでよかったと言って胸をなでおろす
それが防災の原則だとおもいますが
実は日本の政府がやってきた事は 一貫して事故を過小評価して楽観的な見通しで行動してきました
パニックをさける唯一の手段というのは正確な情報を常に公開する態度だろうとおもいます
そうして初めて行政や国がが住民から信頼を受ける そしてパニックを回避するんだと私は思ってきたのですが
残念ながら日本の行政はそうではありませんでした
常に情報を隠して危機的な状況じゃないという事を常に言いたがるということでした


事故から3カ月
これまで原子力を大きな力にしてきた日本のエネルギー政策は見直しを迫られています

ウクライナのナノロジ地区はチェルノブイリ原発から70キロの所にあり
事故によって大量の放射能に汚染された場所です
町には国から人が住んではいけない地域に指定されたところがありますが
およそ3000人が暮らしています

取材者:ここは安全なんですか?

町民:放射能はあちこちに広がってしまったからね
私達はもう順応していますよ

町民:どこから来たの?日本からねぇ・・・今日本でもこっちみたいな事が起こっているんでしょ 大変ね
いいことはなにもないね


畑一面の菜の花の中で調査をしているのは国立ジトーミル農業生体大学ディードフ准教授とその教え子の学生たちです
放射能に汚染された土地に菜の花を植えることで土壌を浄化する実験に取り組んでいます
ここは国から作物を植えてはいけないとされていますが特別に許可を得ています

ディードフ准教授:どんな作物でも基本的には土壌にあるセシウムやストロンチウムを吸収します
特に菜種は土壌の栄養分を多く吸収する性質があるので
それに比例してセシウムやストロンチウムも吸収するのです

2006年に名古屋にあるNPO団体チェルノブイリ救援中部がアイディアを出し
この菜の花プロジェクトをディードフさんやナノロジ町の人達と協力して立ち上げました
収穫した菜種は油を絞ってバイオディーゼル燃料として使う事が出来るのです

取材者:放射能はどっちへどこに行くんですか?

ディードフ:種子を加工するプロセスで放射性核種の大半はこの搾りかすの方に入ります
油にはほとんど入りません 入ったとしても1Kあたり5~7ベクレルです


絞った油はこの機械でバイオディーゼル燃料に加工され
今実際に菜の花畑で使っている耕運機などの燃料になっています
この機械は日本の援助で送られました


竹内高明(チェルノブイリ救援中部):この装置自体は菜の花プロジェクトを考案した段階で
すでにサイクルの一つとしては言っていたわけです
ですので、何故こういうものを送ったかという事は
何故菜の花プロジェクトをやり始めたかという事になる訳ですけれども
この地区の主要産業というのは農業ですので
そうした時に 汚染されている農地の汚染を軽減できないかという事と
エネルギーの自給という事もある程度できないかという事を考えて
それが地域の復興にならないかと



飯館村で菜の花プロジェクトのようなことが出来ないか
日本の農水省が4月の末に視察に訪れディードフさんにも話しを聞きました

ディードフ:日本には水田がありますね

汚染された水田では土壌の一番上の層を取り除かないと
稲作がほとんどできなくなります
その代わりに汚染された水田に 食用ではない菜種を植えることが出来るのです
我々の経験が役に立つならサポートします


チェルノブイリ事故から25年 3月11日という日は日本の歴史に深く刻み込まれることになりました
その日を境に日本の立場は支える側から支えられる側に変わってしまいました
ストロンチウム90の半減期は半減期は28.8年
セシウム137は30年
プルトニウム239にいたっては半減期が2.4万年です
チェルノブイリ事故が21世紀に送られた負の遺産だったように
福島が後々まで受け継がれる負の遺産であることは疑いようもないのです



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