資源国・カザフスタンの東部で
核実験の負の遺産とともに生きる住民を取材しました。

草原から羽ばたく資源国のカザフスタンの東部では、
旧ソ連時代の40年間に460回を超える核実験が行われてきました。
経済発展の中で、核実験の負の遺産とともに生きる住民を取材しました。
目覚ましい経済成長を遂げる草原の国、中央アジアのカザフスタン。
発展する都市部の一方で、地方では、伝統的な風景と人々の生活が広がる。
しかし、

「9,33μシーベルト。結構高いです」
かつての東西冷戦の陰で、広大な土地と人々が犠牲となった現実

この国に今も残る負の遺産、そして苦悩を追った。
FNNの取材班が向かったのは、
東部のセミパラチンスク核実験場で、カザフスタンが旧ソ連の一部だったころ、核実験が集中的に行われた。
日本の四国ほどの広さがあるという実験場の西側に隣接するアバイ村で迎えてくれたのは
村長のアリヤ・ヌルケノワさんで、
「この牛乳も自然のままです。食品は全部、自然のものです」と話した。
テーブルに並ぶのは、村の食材による素朴な伝統料理だった。
この村は、ヌルケノワさんの両親の代に入植が始まったという。
村の人口は、かつて3,000人を数えたが、その後、3分の2に減少した。
理由の1つは、核実験による放射能汚染の疑いだという。
実験場では、1949年から閉鎖するまでの40年間、大気中、そして地下をあわせ、
460回以上もの核爆発が繰り返された。
アリヤ・ヌルケノワさんは「家族と外に出ていると、ゴーッという音が聞こえて、地面が揺れました」と話した。
周辺住民の近くで行われていた核実験。
人々が暮らす街のはるか後方で核実験が行われた実際の映像を見ると、
暫くすると爆風と衝撃波が到達し、驚いた住民が伏せているのがわかる。

さらに、放射性物質を含んだ煙が周辺に拡散し、さまざまな健康被害を周辺住民にもたらしたとされる。

アリヤ・ヌルケノワさんは「(双子の妹は)40歳の時にがんで亡くなりました。
娘も生まれつき体が弱く、10歳の時に亡くなりました。これは、すべて核実験場の影響だと思います」と話した。
この村でも、多くの子どもたちが障害を持って生まれたという。
生まれながらに水頭症を患った女の子、

別の男の子は骨格の形成に障害を負っている。

3年前、実験場周辺の村で撮影された映像に映るのは、当時7歳だったという少年。

6歳までは周りと変わらなかったが、あるとき、一晩で老化した。原因は不明だという。

カザフスタンの保健当局は、この地域の子どもたち1,000人に対し、
8~10人の割合で何らかの病気があり、この数は世界平均の10倍にあたるとしている。

実験場付近へ向かう途中、敷地内で姿を現したのは、数々の廃虚だった。
核実験場には、旧ソ連時代の軍事施設が今も残っている。

大気中の実験では、映像も含めて多くの記録が残されているが、
それは当時、観測施設などから記録されたもので、今は放置され、近づく人もまれだという。

さっそく放射線を測ってみると、0.11だったが、
そこからわずか50メートルほど離れたところで計測されたのは、
1時間あたり9.33マイクロシーベルト(μSv)という値で、
明らかに問題のある数値だった。
一部の放射線量の高い地域は、軍などにより管理されているものの、
実験場内にはいまだに人の住む村もある。
カザフスタン政府は、核実験による被害者を35万人以上としているが、
その数は100万人を超えるとする調査もある。
(08/05 00:05)
youtubeがありましたがいつか消されてしまうかもしれません><:
ニュースはこちらで見る事が出来ます
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00204782.html
上記の文章は
から転記、一部動画を見ながら付け加えました
核実験の負の遺産とともに生きる住民を取材しました。

草原から羽ばたく資源国のカザフスタンの東部では、
旧ソ連時代の40年間に460回を超える核実験が行われてきました。
経済発展の中で、核実験の負の遺産とともに生きる住民を取材しました。
目覚ましい経済成長を遂げる草原の国、中央アジアのカザフスタン。
発展する都市部の一方で、地方では、伝統的な風景と人々の生活が広がる。
しかし、

「9,33μシーベルト。結構高いです」
かつての東西冷戦の陰で、広大な土地と人々が犠牲となった現実

この国に今も残る負の遺産、そして苦悩を追った。
FNNの取材班が向かったのは、
東部のセミパラチンスク核実験場で、カザフスタンが旧ソ連の一部だったころ、核実験が集中的に行われた。
日本の四国ほどの広さがあるという実験場の西側に隣接するアバイ村で迎えてくれたのは
村長のアリヤ・ヌルケノワさんで、
「この牛乳も自然のままです。食品は全部、自然のものです」と話した。
テーブルに並ぶのは、村の食材による素朴な伝統料理だった。
この村は、ヌルケノワさんの両親の代に入植が始まったという。
村の人口は、かつて3,000人を数えたが、その後、3分の2に減少した。
理由の1つは、核実験による放射能汚染の疑いだという。
実験場では、1949年から閉鎖するまでの40年間、大気中、そして地下をあわせ、
460回以上もの核爆発が繰り返された。
アリヤ・ヌルケノワさんは「家族と外に出ていると、ゴーッという音が聞こえて、地面が揺れました」と話した。
周辺住民の近くで行われていた核実験。
人々が暮らす街のはるか後方で核実験が行われた実際の映像を見ると、
暫くすると爆風と衝撃波が到達し、驚いた住民が伏せているのがわかる。

さらに、放射性物質を含んだ煙が周辺に拡散し、さまざまな健康被害を周辺住民にもたらしたとされる。

アリヤ・ヌルケノワさんは「(双子の妹は)40歳の時にがんで亡くなりました。
娘も生まれつき体が弱く、10歳の時に亡くなりました。これは、すべて核実験場の影響だと思います」と話した。
この村でも、多くの子どもたちが障害を持って生まれたという。
生まれながらに水頭症を患った女の子、

別の男の子は骨格の形成に障害を負っている。

3年前、実験場周辺の村で撮影された映像に映るのは、当時7歳だったという少年。

6歳までは周りと変わらなかったが、あるとき、一晩で老化した。原因は不明だという。

カザフスタンの保健当局は、この地域の子どもたち1,000人に対し、
8~10人の割合で何らかの病気があり、この数は世界平均の10倍にあたるとしている。

実験場付近へ向かう途中、敷地内で姿を現したのは、数々の廃虚だった。
核実験場には、旧ソ連時代の軍事施設が今も残っている。

大気中の実験では、映像も含めて多くの記録が残されているが、
それは当時、観測施設などから記録されたもので、今は放置され、近づく人もまれだという。

さっそく放射線を測ってみると、0.11だったが、
そこからわずか50メートルほど離れたところで計測されたのは、
1時間あたり9.33マイクロシーベルト(μSv)という値で、
明らかに問題のある数値だった。
一部の放射線量の高い地域は、軍などにより管理されているものの、
実験場内にはいまだに人の住む村もある。
カザフスタン政府は、核実験による被害者を35万人以上としているが、
その数は100万人を超えるとする調査もある。
(08/05 00:05)

ニュースはこちらで見る事が出来ます
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00204782.html
上記の文章は

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