08.07
Sun
内部被曝の恐怖訴え 「ぶらぶら病」も
産経ニュース2011.8.6 08:48
「けがのない人まで次々と死んでいった。医者なのに一体何が起こっているか分からなくて、ただ悔しかった」。
広島陸軍病院の軍医だった肥田舜太郎(ひだ・しゅんたろう)さん(94)は、
昭和20年8月6日、広島市に原爆が投下された後の様子をそう振り返る。
肥田さんはたまたま爆心地から約6キロ離れた旧戸坂村に往診に出ていた。
建物は爆風で吹き飛び、ひどいやけどを負った人たちが市内から村に避難してきた。
手当てもままならず、けが人は次々と息を引き取っていった。
「応援の医師をあわせても1人で千人もの患者をみなくてはならなかった」
そのうち妙なことに気がついた。けがの程度の軽い人たちまで死んでいくのだ。
「高熱、鼻や口からの出血、紫色のまだら模様。放射線の急性症状が出ていたんです」。
今も鮮明に覚えているのは、抜けた髪の毛をつかんだ女性の姿。
息も絶え絶えだったにもかかわらず、ごっそりと抜けた髪をつかみ、泣き叫んでいた。
「あんな悲しい光景は見たことがない」と顔を曇らせる。
戦後は山口県にできた国立病院へ移り、
昭和25年ごろから埼玉や東京の診療所で、被爆者の診療を始めた。
これまでに原爆の後遺症に苦しむ6千人以上の被爆者を診察してきた。
倦怠(けんたい)感を訴える人が多くいた。原
因は分かっておらず、「ぶらぶら病」と呼ばれた。
「ピカの影響だとはうすうす分かっていたが、どんな病気かわからず、ビタミン剤を処方するぐらいしかできなかった」と話す。
また、被爆したというだけで差別を受け、苦しむ人も多くいた。
肥田さんはそんな被爆者たちの声に耳を傾け、寄り添い続けた。
昨年、体力の衰えから現役を引退。60年以上にわたる診療活動を終えた。
その後、請われて各地で講演活動をしている。
3月の東京電力福島第1原発事故について、被爆者医療に長年、携わってきた経験から
放射線が人体に及ぼす影響では特に内部被曝(ひばく)の恐ろしさを訴える。
放射性物質が体内に入るとその後、数十年にわたって体内で放射線を浴び続けることになるからだ。
「私は死に損なったんです。私が死ななかったのは、何かをしなければならない運命だったという気がしている」
原爆の日の8月6日は広島を訪れ、
爆心地から約1キロの距離にあった広島陸軍病院の原爆慰霊碑前で、亡くなった仲間や患者の冥福を祈る。
◇
【用語解説】内部被曝
大気中に漂ったり飲食物に付着した放射性物質を体内に取り込んだために、体の内部から放射線を受けること。
放射性物質が組織に沈着する恐れがあるほか、
飛距離が短く外部被曝では影響の少ないアルファ線やベータ線にもさらされるため、
高い危険性が指摘されている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
肥田舜太郎医師(94)

「私は死に損なったんです。私が死ななかったのは、何かをしなければならない運命だったという気がしている」
肥田医師はこう話していらっしゃいますが
94歳とは見えない位に若くってしゃきっとしてる。
とても素敵です。
昨日の終戦の日の色々な特集番組を見ていてふっと思いました。
たとえば、
テレビと新聞と取材があった
山田舜(あきら)さん(85)

19歳の時に広島で被爆
1945年夏の朝。旧制高校2年生だった山田さんは
熱を出して広島市の自宅で寝ていた。突然、閃光(せんこう)と爆風が襲った
そして現在は、福島に住んでいらっしゃり、今回の事故の経験もされたという
(広島原爆の日:「2度も放射線に」福島の被爆者の思い・毎日新聞2011・8・6)
昨日は、85歳を過ぎていても実年齢より若く見える被ばくをされた方が
何人もテレビに出てお話しされていました
戦争の体験など、貴重なお話しも沢山お聞きしたいけれど
その後の、普段の生活はどうだったのかという事も伺ってみたいと思いました
同じように被ばくしているのに病気になる人とならない人がいるのは
どのようなメカニズムからなのだろう?
もともと持っている遺伝子が放射性物質に対して抵抗力があるのか
同じように内部被ばくをしていたとしても傷つけられる場所が違うからなのか
放射性物質を身体に取り込んでいても、その後が全く異なる事が不思議になった
何が違うんだろう?
確立だと言う。
ロシアンルーレットだと言う人もいた。
何の理由もなく、本当に全ての人に平等に確率で発病するのだろうか?
病気になる人とそうでない人を分ける何かがあるような気がして仕方ない。
生まれもった遺伝子のせいならば仕方ないけど・・・
長崎大学の教授が「笑っていれば放射能は恐くない」
それを聞いた時には「バカにすんなっ!」って頭にきたけど
それも一理あるのかな?なーんて・・思っちゃうくらいに・・
日本はもう、汚染されたから
被ばくからは逃げられない
食物だって、政府の基準は高すぎるし、
そのうち全てが汚染されていくように思う
だったら、
ある程度身体に取り込んでしまう事は諦めなければならない
「しきい値はない」というのだから
一粒だって体内に取り込む事は恐いけど・・・(多分もう、入ってる)
避けられないのならば、
今まで通り注意はするけど、それに加えて
放射能に負けない細胞を自分の体内で維持する方法を探しだす事の方が
前向きな感じがする
アップルペクチンで排出したり
牛肉を酢水に付けてから調理したり
取りこまない努力はするけど
なにか、人間が放射能に負けない方法があるんじゃないかなって
それを見つけてみたくなりましたヽ(。◕ᆺ◕)ノ
産経ニュース2011.8.6 08:48
「けがのない人まで次々と死んでいった。医者なのに一体何が起こっているか分からなくて、ただ悔しかった」。
広島陸軍病院の軍医だった肥田舜太郎(ひだ・しゅんたろう)さん(94)は、
昭和20年8月6日、広島市に原爆が投下された後の様子をそう振り返る。
肥田さんはたまたま爆心地から約6キロ離れた旧戸坂村に往診に出ていた。
建物は爆風で吹き飛び、ひどいやけどを負った人たちが市内から村に避難してきた。
手当てもままならず、けが人は次々と息を引き取っていった。
「応援の医師をあわせても1人で千人もの患者をみなくてはならなかった」
そのうち妙なことに気がついた。けがの程度の軽い人たちまで死んでいくのだ。
「高熱、鼻や口からの出血、紫色のまだら模様。放射線の急性症状が出ていたんです」。
今も鮮明に覚えているのは、抜けた髪の毛をつかんだ女性の姿。
息も絶え絶えだったにもかかわらず、ごっそりと抜けた髪をつかみ、泣き叫んでいた。
「あんな悲しい光景は見たことがない」と顔を曇らせる。
戦後は山口県にできた国立病院へ移り、
昭和25年ごろから埼玉や東京の診療所で、被爆者の診療を始めた。
これまでに原爆の後遺症に苦しむ6千人以上の被爆者を診察してきた。
倦怠(けんたい)感を訴える人が多くいた。原
因は分かっておらず、「ぶらぶら病」と呼ばれた。
「ピカの影響だとはうすうす分かっていたが、どんな病気かわからず、ビタミン剤を処方するぐらいしかできなかった」と話す。
また、被爆したというだけで差別を受け、苦しむ人も多くいた。
肥田さんはそんな被爆者たちの声に耳を傾け、寄り添い続けた。
昨年、体力の衰えから現役を引退。60年以上にわたる診療活動を終えた。
その後、請われて各地で講演活動をしている。
3月の東京電力福島第1原発事故について、被爆者医療に長年、携わってきた経験から
放射線が人体に及ぼす影響では特に内部被曝(ひばく)の恐ろしさを訴える。
放射性物質が体内に入るとその後、数十年にわたって体内で放射線を浴び続けることになるからだ。
「私は死に損なったんです。私が死ななかったのは、何かをしなければならない運命だったという気がしている」
原爆の日の8月6日は広島を訪れ、
爆心地から約1キロの距離にあった広島陸軍病院の原爆慰霊碑前で、亡くなった仲間や患者の冥福を祈る。
◇
【用語解説】内部被曝
大気中に漂ったり飲食物に付着した放射性物質を体内に取り込んだために、体の内部から放射線を受けること。
放射性物質が組織に沈着する恐れがあるほか、
飛距離が短く外部被曝では影響の少ないアルファ線やベータ線にもさらされるため、
高い危険性が指摘されている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
肥田舜太郎医師(94)

「私は死に損なったんです。私が死ななかったのは、何かをしなければならない運命だったという気がしている」
肥田医師はこう話していらっしゃいますが
94歳とは見えない位に若くってしゃきっとしてる。
とても素敵です。
昨日の終戦の日の色々な特集番組を見ていてふっと思いました。
たとえば、
テレビと新聞と取材があった
山田舜(あきら)さん(85)

19歳の時に広島で被爆
1945年夏の朝。旧制高校2年生だった山田さんは
熱を出して広島市の自宅で寝ていた。突然、閃光(せんこう)と爆風が襲った
そして現在は、福島に住んでいらっしゃり、今回の事故の経験もされたという
(広島原爆の日:「2度も放射線に」福島の被爆者の思い・毎日新聞2011・8・6)
昨日は、85歳を過ぎていても実年齢より若く見える被ばくをされた方が
何人もテレビに出てお話しされていました
戦争の体験など、貴重なお話しも沢山お聞きしたいけれど
その後の、普段の生活はどうだったのかという事も伺ってみたいと思いました
同じように被ばくしているのに病気になる人とならない人がいるのは
どのようなメカニズムからなのだろう?
もともと持っている遺伝子が放射性物質に対して抵抗力があるのか
同じように内部被ばくをしていたとしても傷つけられる場所が違うからなのか
放射性物質を身体に取り込んでいても、その後が全く異なる事が不思議になった
何が違うんだろう?
確立だと言う。
ロシアンルーレットだと言う人もいた。
何の理由もなく、本当に全ての人に平等に確率で発病するのだろうか?
病気になる人とそうでない人を分ける何かがあるような気がして仕方ない。
生まれもった遺伝子のせいならば仕方ないけど・・・
長崎大学の教授が「笑っていれば放射能は恐くない」
それを聞いた時には「バカにすんなっ!」って頭にきたけど
それも一理あるのかな?なーんて・・思っちゃうくらいに・・
日本はもう、汚染されたから
被ばくからは逃げられない
食物だって、政府の基準は高すぎるし、
そのうち全てが汚染されていくように思う
だったら、
ある程度身体に取り込んでしまう事は諦めなければならない
「しきい値はない」というのだから
一粒だって体内に取り込む事は恐いけど・・・(多分もう、入ってる)
避けられないのならば、
今まで通り注意はするけど、それに加えて
放射能に負けない細胞を自分の体内で維持する方法を探しだす事の方が
前向きな感じがする
アップルペクチンで排出したり
牛肉を酢水に付けてから調理したり
取りこまない努力はするけど
なにか、人間が放射能に負けない方法があるんじゃないかなって
それを見つけてみたくなりましたヽ(。◕ᆺ◕)ノ
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コメント
かわいい歌声。ほっとします。
放射能で、子供、仕事、どうしたらいいんだろう。
今、何ができるか。
制約が、いっぱいある。
煮詰まっていて。
ほっとしました。ありがとうございます。
あったらいいですよね。
放射能で、子供、仕事、どうしたらいいんだろう。
今、何ができるか。
制約が、いっぱいある。
煮詰まっていて。
ほっとしました。ありがとうございます。
あったらいいですよね。
びっくる | 2011.08.12 21:12 | 編集