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08.11
Thu


・原子力工学を学んでいる学生さんと小出先生

8月10日水曜日 
京都大学原子炉実験所小出裕章助教に聞く
Radio News「たねまきジャーナル」
MBSラジオ [MBS1179.com]




2011年8月10日【水】ーたねまきジャーナルホームページより転記

若き原子力学徒の悩みに小出先生が・・・

近年、原子力発電はCO2削減などで「環境に優しいエネルギー」として再び脚光を浴びていました。
いわゆる「原子力ルネッサンス」です。しかしこの状況。
原子力工学を学び、将来電力会社などへの就職を夢見ていた若者は何を思うのでしょう。
きょうのゲストも某国立大学大学院で原子力のリスク評価や国際展開について学び
メーカーへの就職を当然のように考えていました。
しかし今は疑いもしなかった原発の安全性が大きく揺らぎ、自らも「原子力ムラ」の末端にいることに悩む日々です。
京大・原子力実験所の小出助教とともに「原子力工学のこれから」について考えます。





組織を内側から変革するちから
原子力で未来を拓く、そんな志を抱いて学び、研究してきた学生さんと
小出さんとの対話。
リスナーのみなさんから多くの感想を頂きました。
これまで信じてきたものすべてが壊れ、
自分の生き方を求める、若き研究者と
その悩みに真摯に言葉を紡ぐ小出さん。
私も、胸が震えました。
組織の外で批判するのは容易いですが、
組織の内から、改革するのは本当に難しいことだと思います。
水野クリスタル


続きを読むに内容書き出しました


水野:
たねまきジャーナル特集です
近藤さ~ん、今日の特集は「若き原子力研究者の卵の悩み」です
若い男性が私の目の前にいます
原子力工学を学んでいる学生さんなんですが
今日はその方と原子力の道40年ずっと研究して来られた京都大学の小出さんに
是非対話をしていただきたい
そんな特集の企画です
京都大学原子炉実験所小出裕章さんです
小出さんこんばんは

小出:こんばんは

水野:
これから原子力工学を学んでいらっしゃる学生さんのお話しをご紹介いたします
後ほどお話しをしていただきたいとおもいますので
暫く学生さんのお話しを聞いていていただけますか

小出:はい。承知しました

水野:
では、ご紹介いたします
ある国立大学で原子力工学を学んでいらっしゃる山田ケイスケさんです
山田さんはいい感じに日焼けしてスリムでなかなかのイケメンでございます
山田さんはこの原子力工学を学ぼうと最初に思ったのはどんなきっかけでしたか?

山田:
当時原子力開発を海外に輸出するという事で非常に追い風が吹いていた事と
あと、かなりの専門分野であるという事で、専門性にひかれて、
教授陣もその道で第一人者である方ばかりでしたので、原子力を学ぼうと思いました

水野:
他にもいろんなエネルギーの勉強ってしようと思ったら出来るでしょ
たとえば、水力とか風力とかいろんなもの
そういうのに比べるとどうでしたか?

山田:
やはり、太陽光であったりとか風力であったりとかは
理論的に、もう、技術が確立されている部分でありますので
最終的には価格競争の部分で日本は負けてしまうんじゃないかという考えもありました
その点原子力に関しては、安全性と言うのが一番に重要視されている物でしたので
その面で日本の技術は負けないと、
実際に価格競争にならないので
最後まで日本が海外と戦った時に生き残れるんじゃないかという考えがありまして
エネルギーの中から原子力を選びました

水野:
本当にこれからのエネルギーの事を考えて
日本の生きていく道は原子力が一番価格競争で強いと感じたんですね

山田:
そうですね。当時はやはりそう考えていました

近藤:
当時は原子力ルネッサンスなんて言葉が当たり前だったんですか?

山田:
学科内でも原子力ルネッサンスという言葉はかなり有名でした
色々な場面で出てきていました

水野:
それはいわゆるCo2を削減しなければいけない地球環境のために
その切り札が原子力なんだと
そういう意味でもう一回原子力を見直そうと、そういう意味なんですかね、原子力ルネッサンス。

山田:はい。そうです

近藤:
そうすると今の首相の菅さんがね、
自分が平成の外国の先頭を切ってベトナムへ原発を売ったという話しをしていましたけど
原発商法と言いますか、そういう事に対してはいわばいい事だと思っていた?

山田:
そうですね。当初は積極的に海外展開するべきだと
自分もそうですけど周りの風潮でありましたし、
実際に色々なOBと話しをして、
「これから原子力を国際展開していくにはどういうふうにしていけばいいか」というような
セミナーであったり、対話会であったりというのに積極的に参加していました

近藤:
そうすると、原発を文句なく支持する立場だった、そこには一点の迷いもなかったんですか?

山田:
当時は安全性に対してはそこまで心配はしていなくて
廃棄物問題に関してはこれはどうなんだろうという、少し、やはり迷いはありましたけれども
ま、今の時点で切り札になるのはやはり原子力なんじゃないかというのが
当時の風潮ではありました

近藤:
そうすると、スリーマイルとかチェルノブイリというのは頭の中では、どう整理していたんですか?

山田:
これは学科の授業等でも言われた事なんですけれども
「今の技術ではスリーマイルは起きないし、チェルノブイリの事故も原理的には起きない」
ということが、授業でも言われていましたし、
原子力産業の中でもそれがスタンダードといいますか
もう原理的に起きないであろうという結論に至っていたので
そこは、後々考えるとよくなかったと思いますけど
当時はやはり、その面に関しては迷いはなかったですね

近藤:
当時自民党政権ですか?

山田:はい

近藤:
自民党政権と言うのは原子力開発においては、
裏側に核兵器をうんぬんの何らかの意図があるというようには思っていなかったですか?

山田:
それに関しても色々な意見が飛び交っていまして
その気になれば再処理施設の物を使えば数カ月単位で核兵器が完成するという情報もありましたので
そういう、防衛的な面も何かしら作用しているのではないかと、
ただ、当時はそれがいい方向なのか悪い方向なのかということは
学科内でも意見が分かれる部分がありまして、
そこに関しては結論が出ていなかったという事になります

水野:
こんなことを言うとなんですけど、就職先というのは
引く手あまたなんでしょ?今までだったら

山田:
そうですね
今までは原子力工学を学んでいる学生はそのまま
原子力のメーカーであったり、電力会社であったり、
そういうところにみんな就職している
そういう事になっていました

近藤:
学部の名称では「原子力工学」というのはまだ生きていたんですか?

山田:
いえ、全然違う学科名です

水野:
そうした学校生活、研究生活を送っている時に3月11日がやってきました
この福島第一原発の事故を知った時、どうでしたか?

山田:
最初は・・もう、今まで信じていた物がガラガラと崩れ去るような形になって
最初は、何も考えられなかった状態ですね
で、初めはそんなに被害はないだろうというふうにタカをくくっていたんですけれど
日に日に事態は悪化していきまして、
電力会社の隠ぺいであったりとか色々な部分も見えてきて
何と言いますか、「今まで信じていた物が全部違ったんだ」という現実を突きつけられて
何も考えられなくなったというのが実際のところです

水野:
どんな精神状態、どんな感じでしたか?

山田:
本当に、当時、4月5月は朝起きるのもかなり辛くて
ニュースを見るのも辛い状態でした
周りには、鬱、鬱とまではいきませんけど病んじゃって、研究室に来られなくなった同期もいますし
やっぱり、学科全体で、そういう、何も考えられないといいますか、絶望といいますか
そのような感情にみんななっていました

近藤:
あの、反原発っていい方がいいか悪いかはともかく、
反原発というのも一つの学問じゃないんですか?

山田:
そうですね、ただ、やはり、原子力村であったりとか閉じた世界であったりとか
いっぱい言われていると思いますけど
反原発というのは我々の専攻の中では「そういうのは違うんじゃないか」という意見が大半であり
原発に関して、そういう環境の中でもありましたので
反原発という考えに行きつく人も、やっぱりいませんでしたし
そういう風土でもなかったというのが実際のところだと思います

水野:
反原発なんていうのは言葉として自分の頭の中にあり得ない感じですか

山田:
はい。
当時は、その反原発の人達の意見をどうやって論破するかという風潮がかなりありまして
反原発というのは間違っているんじゃないかと
今考えれば、ちょっと、おかしなことなんですけれども
当時は思っていました

近藤:
私は憲法23条ですか、学問の自由っていうのがありますよね
全て学問はOKだとぼくは思っているんです
だから、いかなる研究も自由だというのが学問だと思うんですが
そういう意味で、こういう事故が起きたから学問の正当性がなくなると
そういうふうに考えますか?

山田:
それに関しては、事故が起こったら起こったで問題は山積みですので
それに関する研究というのは続けていかなければいけないと思いますが
やっぱり、今まで原子力村だとか利権だとか癒着だとかありましたとおり
産業構造自体がなかなか変わらないと言いますか
変えにくいものが、やはりまだ残っているなという印象は受けます

近藤:
ならば、なおやってみようという気持ちにはなりませんか?

山田:
やっぱり、私まだ学生ですので、どうしても就職という部分に行きついてしまいます
もちろん小出先生のように信念を貫ける方ももちろんいるとは思うんですけれども
全員が全員、そこまでしっかりとした意志を持っているかというとやはり
みんながみんな そうは なれないという部分はありますね

水野:
ここで、小出先生に改めて登場していただこうと思います
小出さん、今、学生さんの話しを聞いてらしてどんな思いをうかべましたか

小出:
山田さんは原子力工学科というところにいる訳ですから
その、山田さんが今いる社会というか広がりの中で物事を考えてこられた
そしてその社会というのは、この頃は原子力村という言葉が随分広まってきましたが
いわゆる、原子力というものに疑問を殆どの方が持たないという
そういう集団なのだと私は思います
で、そういう中でずっと毎日生きてくると
おそらくは、その中に順応するしかないという事で、
ほとんどの全て方は、そうやってこれまでも来たんでしょうし
山田さんご自身もそうやってきたんだと思います
仕方のない事だなと私は思います

水野:
山田さんからご覧になって小出さんの存在というのは、
前からご存じだったんですか?

山田:
そうですね。事故前から

水野:
どういうふうに写っていたんですか?小出さんは。





山田:
やはり、事故前に関しては、・・言葉は悪いんですけど、異端と申しますか
当時の考えですと、やっぱり「原子力は推進していくべきだ」という
周りの風潮であったり、自分の考えを持ってやってきましたので
やっぱり考えが当時は合わなかったので
異端であったりとか、そういう印象をやっぱり持ってしまう。
で、震災後に関しては、
急に自分の意見を変えると言われるとそうもいかないんですけれども
震災後にいろんな、原子力に関して今まで見えてこなかった事
負の部分がいっぱい見えてきた時に、
それでも信念を貫いてやってきたという事はかなりすごい事なんだなと
そういう意味ではかなり、意志を持った方なんだなという印象を今受けます

水野:
小出さんが確か以前おっしゃっていた言葉の中に
「これからの若い人の力が必要なんだ」とおっしゃっていたかと思うんですけど

小出:
はい。
私は原子力は即刻廃止しろと言っている人間ですけれども
即刻原子力発電を止めたとしても、すでにつくってしまった膨大な核分裂生成物が残っているわけですね
それを何とか、後の世代に重荷にならないようにする責任が私達の世代にあると思いますので
なんとか、それを引き受けて、原子力、あるいは放射能という場所で研究を続けてくれる人を
若い方に私は育って欲しいと、ずっと願っています

水野:どうですか?

山田:
現状ですね、今原子力工学科の人間は2タイプに分かれていて
このような現実を見せつけられても原子力は続けていくべきだという意見の人と
私のように、ちょっと、原子力はもうやめたほうがいい。
そのスピードはどうであれ、これからは脱原発の方に向かって行くのかなという
2タイプの人間がいますけれども、後者のタイプは、やはりもう、
原子力以外の場所で就職すると言っている人がかなり多くて
そうなりますとやはり、今までと同じように推進に考えが言っている人が
原子力の世界にこのままでは残ってしまうんじゃないかという
不安といいますかそういう要素があると考えています

水野:
私から見たら小出先生のような、原子力に対して批判をしながら
しかしながら、安全にどうやって収束させて行くかというような、名を持った研究者というのは
なかなか生まれてこないというお話ですよね。いまのはね。

山田:
そうですね。
今も生まれにくい土壌にはあると思います

水野:
やっぱり今でも原子力の業界で
「脱原発です」何て言うのはしんどい事ですか

山田:
やはり、ちょっと打算的な話しにもなりますけれども
研究者として、原子力がなくなるという事は仕事がなくなるという事にもなりますので
そういう仕事であったりとか打算的な事を抜きに
本当は考えなければいけないんですけれども
やっぱり、そういう事を考えてしまう。
実際に私ももし、業界に入ったとしたら、そういう事は将来的にちらつく
と、どうしてもそういう事はあると思いますので
そういうところを何とかする必要があるのかなという風に考えます

水野:
一生の自分の生活をどうしていくかという話しになるんですものね

山田:そうです

水野:
小出さん、ご自身は事故前は、実際若い人たちにご自分の道を継いでくれと言っていたんですか?

小出:言いませんでした。

水野:それはどうしてですか?

小出:
もちろん私は原子力を推進して欲しいとは思いませんでしたし
いわゆる、その原子力の研究者にですね
私のように原子力に抵抗しようと思うと
それなりの覚悟をしないとできないと思いますので
そういう覚悟を若い人たちに求めたくありませんでした

水野:
その覚悟というのは、たとえばどういう事ですか?

小出:
要するに、さっき山田さんもおっしゃったような
原子力を進めると言うようなそういう一色の世界があるのですね
その一色の世界の中で、それに抵抗しようという事になるのですから
え・・・ま、そうですね
私にとっては別に難しい事ではなかったのですが
普通の方からみると、なかなか嫌な生き方だったかもしれないと思います

水野:
近藤さん、
生き方をこんな若い人に求めるのは、私も申し訳ない気持ちもありながら
どう聞かれますか?

近藤:
やっぱり、こういう事態になったからこそ
今までと違った角度で原発というものをみる必要性
それは依然として世界的な課題ですから、
私は立派な学問としてそこに成立している道があるんじゃないかと思うんですけどね

水野:
私ね、今日お話ししていたら、
こんなふうに一生懸命環境の問題を考えていた学生さんが
この原子力の事故で、原子力を見つめる、また違う目を持たれた
こんな人こそ原子力村を専門の立場から変えていってほしいと。
そして私達素人にね
「本当は今こうなってるんですよ」ということをどんどん説明して
開かれた世界にしていって欲しい。
それが山田さんならできると、私からは見えるんです。

山田:
ありがとうございます

近藤:
そうですね。水野さんその通りだわ。
ぼくね、やっぱ、勉強するって事は一つの道筋、道理を発見するということだと思うんですよ。
だから、こういう事故が起きたら、なおの事、その道理の発見という
大きな道筋が開いている様な気がしてならないのです

水野:
ただね、小出先生も教授の肩書じゃないですしね。
助教でいらっしゃるでしょ

山田:そうですね

水野:
やっぱり、普通に一般から見たら
何で先生は教授にならないのって思いますよね
そしたら、やっぱり、山田さんもいろんな意味でもっと、
お金が儲かる道とか、もっと、肩書のバンバンはくが付く道があるかもしれないのに閉ざされちゃうかもしれない
と、私からは見えるんです

山田:
やっぱり、そういう不安はある。無いと言えばうそになります
それは、できればやっぱり、自分の信じた道をいきたいけれども
ここまで育ててくれた親とか、いろんな人の事を考えると
どうしても尻込みしてしまうという部分はあります

近藤:世の中の価値観が変わるかもしれないじゃないですか

山田:あっ、そうですね

水野:小出先生どうですか?

小出:山田さんのような人を受け入れる度量を持った原子力村であって欲しい

水野:
そして、こうした冷静な目を持った研究者の方がいらっしゃらなかったら
これから原発を、もし止めるにしても、上手に止めていけるものなのか、
ずっと、お守が必要なんですよね。小出先生

小出:
もちろんです
今のまま行けば飛行機がずっと上昇していって、いつか墜落するという事になりますから
ちゃんと、原子力の後始末も含めて
どうやってやるのがいいのかという事を、しっかりと考えていって欲しいと思います

水野:
山田さん、大人三人が色々な話しをしました
どうですか?

山田:
確かに、一番の問題はみなさんもおっしゃれらていました原子力村という事だと思います
私も実際にこれから先、原子炉を含めて後始末をどうするかというのを
もっともっと自由に学ぶには、
村であったり閉ざされた世界をもうちょっと開く必要があるというのは
非常に今強く感じているので
そこのあたりをどのようにしていくかという事は非常に重要な事だなと考えています

水野:
最後に、小出先生に山田さんからお聞きになりたい事をどうぞ

山田:
はい。
私自身も閉じた社会であったりとか村の体質であったりが
今までの、原子力政策から言ってもこれからの原子力政策でも
やっぱり、重荷になる部分になるとおもうんですけれども
我々はまだ、そういった面においてはしがらみにとらわれていない立場ではあります
そういった事を考えた時に、我々でどのようにして開いた社会を作れるか
我々の力で何が出来るかということを、
40年間原子力に反対されていた立場からお答えしていただきたいと思っています

小出:
はい。
結局、私は原子力村の中では基本的には生きられなかったし
ずっと、異端という。先ほど玉田さんもおっしゃったけれども、異端という立場だったんですね。
で、私は当初、原子力学会にも入っていましたけれども
途中でこの社会はダメだと思いまして、原子力学会も脱退しています
それで、外部から原子力学会を含めた原子力村に対して論争を挑みながら今日まできたということです
山田さんのような方は、むしろ、今まで原子力村と呼ばれてきた社会に残れる可能性もあるわけですし
その社会の中からそれを変えていくという力になりうるわけですから
是非とも頑張ってやって欲しいと願います

山田:はい。ありがとうございます

水野:
お二人の非常に貴重な議論の中に私も入らせていただきました
今日は本当に山田ケイスケさんありがとうございました
これからもどうぞ活躍して下さい。

山田:はい。ありがとうございました。

水野:小出先生もありがとうございました

小出:ありがとうございました。




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| 2011.08.13 19:48 | 編集
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